Re: 自分をグーグル化した情報サイボーグの末路その2 ― 2008年06月05日 06時23分25秒
ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
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http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/05/17/3518558
Re: 自分をグーグル化した情報サイボーグの末路
の続き。たぶん、その2でいいと思うが。^^;
ひさんのコメントにちょっといっておきたいんですが。
もう少し字面そのものじゃない読解力をもっていただきたいというのが希望。
20年前の電脳騒乱節の時代と違って、人生残り少ないし、時間がないので、
丁寧な説明ができてないのは、申し訳ないと思いますが。
--- ここから ---
ここで言う知的生産(規則性の発見と体系化)なんかしなくても、センスのあ
る美術屋さんは感覚で知っています。むしろ、彼ら彼女らの多くは規則性の発
見と体系化は苦手な作業です。
--- ここまで ---
例示したのは、あくまで例。「規則性の発見と体系化」といった意味は、発
見、創造、新規性、創造性の例。
芸術家は、理論武装が必要にならない限り、規則性の発見や体系化といった
理論化はしないでしょう。でも、感覚的には発見、創造をやってるわけ。「排
泄行為」であっても。そういう芸術家でも、ルーチンワークでしか創作活動を
やらなくなったら、それは、ほんとに単なる排泄行為になるということ。
知的生産かどうかは、作り手、書き手だけの話ではなく、受け手、読み手に
理解力、読解力、鑑賞力、批評力といった力量がないと知的生産にはならない。
受け手、読み手も知的力量があって初めて、知的生産は円となって完結すると
いうのが、ぼくの認識。
芸術家の感覚的な行為、ひさんの言葉でいえば、「排泄行為」が知的かどう
かは、受け手の問題でもあるわけです。
芸術家は直感や感覚によって、よしあしがわかるし、自然科学だと、数学や
論理を使ってよしあしを判定していますよね。
その上で、「排泄行為」なので、知的活動ではないという言い方をするので
あれば、コメント先の記事の最後で書いたように、宇宙がやってることは、全
部、排泄行為。星雲が美しいかどうかなんて宇宙は知ったこっちゃない。物理
法則にしたがって、淡々と排泄行為を行なっているだけ。それを人間が美しい
と感じているだけで。
この考え方の究極は、宇宙も生命も知的活動も、すべて、所詮は量子計算の
結果、量子のきまぐれにしかすぎず、そこになんら価値を見出す必要もないと
いう考え方にもなりますね。
人間の意識だって錯覚にすぎないという言い方だってできる。
これはこれで、ひとつの世界認識の方法。
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/04/26/3332628
「クラシックなジャズナイト」
で少し紹介したけど、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480917055/showshotcorne-22/
梅田卓夫, 清水良典, 服部左右一, 松川由博編「高校生のための批評入門」
は、ほんとに読む力、読解力をつけるにはいいですよ。
勝間和代的な速読、フォトリーディングといったデータ処理的な読み方では、
決して到達できない世界。
これとたびたび、以前から言及していた、たとえば、
http://iiyu.asablo.jp/blog/2007/07/16/1658941
高校生のための文章読本
で紹介した
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480917047/showshotcorne-22/
梅田卓夫, 清水良典, 服部左右一, 松川由博編「高校生のための文章読本」
ね。
大昔、おれは、これでボルヘスの「砂の本」を知って驚嘆しました。\(^O^)/
「高校生のための批評入門」と、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480917098/showshotcorne-22/
梅田卓夫, 清水良典, 服部左右一, 松川由博編「高校生のための小説案内」
は、もってなくて、しかも、「高校生のための文章読本」がどこにいったかわ
からなくなってたので、これも。そして、ついでに、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480086129/showshotcorne-22/
文章表現400字からのレッスン (ちくま学芸文庫) (文庫)
梅田 卓夫 (著)
を、今年の初めかな、注文しました。
「高校生のための文章読本」は、20年ぶり?くらいに読んで、懐かしかった
し、やっぱり、20年経つと感じ方が違いますね。やはり、再読はいいね。時を
経た再読はとりわけ面白いね。本が自分の人生の鏡になるもんね。
「高校生のための批評入門」は、非常によくて、脳や意識を押し広げてくれ
ました。別途感想を書きます。示唆的な話、引用したい話題がたくさんありま
す。でも、長いものやしっかりしたものは、書く時間がないね。
あとの2つは、時間がないと、もう読まないかも。^^;
---
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/05/17/3518558
Re: 自分をグーグル化した情報サイボーグの末路
の続き。たぶん、その2でいいと思うが。^^;
ひさんのコメントにちょっといっておきたいんですが。
もう少し字面そのものじゃない読解力をもっていただきたいというのが希望。
20年前の電脳騒乱節の時代と違って、人生残り少ないし、時間がないので、
丁寧な説明ができてないのは、申し訳ないと思いますが。
--- ここから ---
ここで言う知的生産(規則性の発見と体系化)なんかしなくても、センスのあ
る美術屋さんは感覚で知っています。むしろ、彼ら彼女らの多くは規則性の発
見と体系化は苦手な作業です。
--- ここまで ---
例示したのは、あくまで例。「規則性の発見と体系化」といった意味は、発
見、創造、新規性、創造性の例。
芸術家は、理論武装が必要にならない限り、規則性の発見や体系化といった
理論化はしないでしょう。でも、感覚的には発見、創造をやってるわけ。「排
泄行為」であっても。そういう芸術家でも、ルーチンワークでしか創作活動を
やらなくなったら、それは、ほんとに単なる排泄行為になるということ。
知的生産かどうかは、作り手、書き手だけの話ではなく、受け手、読み手に
理解力、読解力、鑑賞力、批評力といった力量がないと知的生産にはならない。
受け手、読み手も知的力量があって初めて、知的生産は円となって完結すると
いうのが、ぼくの認識。
芸術家の感覚的な行為、ひさんの言葉でいえば、「排泄行為」が知的かどう
かは、受け手の問題でもあるわけです。
芸術家は直感や感覚によって、よしあしがわかるし、自然科学だと、数学や
論理を使ってよしあしを判定していますよね。
その上で、「排泄行為」なので、知的活動ではないという言い方をするので
あれば、コメント先の記事の最後で書いたように、宇宙がやってることは、全
部、排泄行為。星雲が美しいかどうかなんて宇宙は知ったこっちゃない。物理
法則にしたがって、淡々と排泄行為を行なっているだけ。それを人間が美しい
と感じているだけで。
この考え方の究極は、宇宙も生命も知的活動も、すべて、所詮は量子計算の
結果、量子のきまぐれにしかすぎず、そこになんら価値を見出す必要もないと
いう考え方にもなりますね。
人間の意識だって錯覚にすぎないという言い方だってできる。
これはこれで、ひとつの世界認識の方法。
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/04/26/3332628
「クラシックなジャズナイト」
で少し紹介したけど、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480917055/showshotcorne-22/
梅田卓夫, 清水良典, 服部左右一, 松川由博編「高校生のための批評入門」
は、ほんとに読む力、読解力をつけるにはいいですよ。
勝間和代的な速読、フォトリーディングといったデータ処理的な読み方では、
決して到達できない世界。
これとたびたび、以前から言及していた、たとえば、
http://iiyu.asablo.jp/blog/2007/07/16/1658941
高校生のための文章読本
で紹介した
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480917047/showshotcorne-22/
梅田卓夫, 清水良典, 服部左右一, 松川由博編「高校生のための文章読本」
ね。
大昔、おれは、これでボルヘスの「砂の本」を知って驚嘆しました。\(^O^)/
「高校生のための批評入門」と、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480917098/showshotcorne-22/
梅田卓夫, 清水良典, 服部左右一, 松川由博編「高校生のための小説案内」
は、もってなくて、しかも、「高校生のための文章読本」がどこにいったかわ
からなくなってたので、これも。そして、ついでに、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480086129/showshotcorne-22/
文章表現400字からのレッスン (ちくま学芸文庫) (文庫)
梅田 卓夫 (著)
を、今年の初めかな、注文しました。
「高校生のための文章読本」は、20年ぶり?くらいに読んで、懐かしかった
し、やっぱり、20年経つと感じ方が違いますね。やはり、再読はいいね。時を
経た再読はとりわけ面白いね。本が自分の人生の鏡になるもんね。
「高校生のための批評入門」は、非常によくて、脳や意識を押し広げてくれ
ました。別途感想を書きます。示唆的な話、引用したい話題がたくさんありま
す。でも、長いものやしっかりしたものは、書く時間がないね。
あとの2つは、時間がないと、もう読まないかも。^^;
コメント
_ ひ ― 2008年06月05日 14時12分30秒
_ パサー ― 2008年06月28日 23時16分30秒
今更ですが、以前拝見して気になっていたので。
言葉の定義の問題ではなく、単に用法の問題かと。
showさんは、著作権等の知的所有権などで使われる「知的」の意味で使用。対して、ひさんは、創作に向かう態度について、感覚的の対義語として、理知的の意味で使用しているように読み取れます。美術屋さんというのが、デザイナーやイラストレーターなのか画家なのかよくわかりませんが、彼らが感覚的に生産(あるいは排泄)したものも、知的所有権の対象となり得るはずです。
言葉の定義の問題ではなく、単に用法の問題かと。
showさんは、著作権等の知的所有権などで使われる「知的」の意味で使用。対して、ひさんは、創作に向かう態度について、感覚的の対義語として、理知的の意味で使用しているように読み取れます。美術屋さんというのが、デザイナーやイラストレーターなのか画家なのかよくわかりませんが、彼らが感覚的に生産(あるいは排泄)したものも、知的所有権の対象となり得るはずです。
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_ ホットコーナーの舞台裏 - 2008年07月18日 06時48分19秒
ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
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コンピュータの生みの親はアスペルガー障害の人じゃないか、
と
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コンピュータの生みの親はアスペルガー障害の人じゃないか、
と
_ ホットコーナーの舞台裏 - 2008年07月18日 06時48分44秒
ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
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コンピュータの生みの親はアスペルガー障害の人じゃないか、
と
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コンピュータの生みの親はアスペルガー障害の人じゃないか、
と
_ ホットコーナーの舞台裏 - 2008年07月23日 05時58分36秒
ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
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イチイチ分けてコメントするのが、面倒くさいので、まとめて
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イチイチ分けてコメントするのが、面倒くさいので、まとめて
_ ホットコーナーの舞台裏 - 2009年08月10日 12時31分43秒
ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
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ハインラインの傑作タイムトラベルSF、「夏への扉」が新訳で出
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ハインラインの傑作タイムトラベルSF、「夏への扉」が新訳で出
_ ホットコーナーの舞台裏 - 2011年06月24日 05時48分49秒
ASAHIネット(http://asahi-net.jp )のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
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http://iiyu.asablo.jp/blog/2011/06/19/5919003
ロボットが懸命に絵を描いている\
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http://iiyu.asablo.jp/blog/2011/06/19/5919003
ロボットが懸命に絵を描いている\
ううん。「言いたいことはわかるんですが、言葉の定義の問題ですね」というのが私の意見です。これはすでに書いたと思うんですが。
美術屋さんは、少なくとも自分たちが知的なことをしているという認識がない人が多いです(ある人はいるのか?)。極端な例だと、彼らの認識している「知的」なものに嫌悪を抱いている人もいます。
とまあこんな具合なので、showさんと美術屋さんとの「知的」に関する認識には随分と深い溝があるんだなと思う次第です。