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なんか、いっぱいコメントやトラックバックついてました^^;2006年02月25日 03時33分14秒

ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
---
http://iiyu.asablo.jp/blog/2006/02/16/255603
http://iiyu.asablo.jp/blog/2006/02/17/257215
に、知らない間にいっぱいコメントやトラックバックがついてました。
 月末納品2つ抱えて、みてる暇なかったんですが、やっと今日もう送っちゃ
ったから、少しは暇が作れる。
 おれは日を間違えて、昨日の朝(あ、もう一昨日の朝)が、トリノオリンピッ
クの女子フィギュアのフリーだと思って4時半ころに起きたら、やってません
でした(爆)。今日(あ、もう昨日だ)も早起きしようとしたら、起きられず、荒
川選手の演技、ライブでは見逃しました(笑)。観たときは、残り2人だったか
な。荒川選手のメダルは確実であとはその色がどうなるかだといってました。
^^;
 そんなこんなと、日曜日のラグビー日本選手権決勝のほうで頭いっぱいなん
ですけど、いま、書けるだけ、書きますね。
 ざっと、コメントみたけど、みんなばらばらですね。
 おれはどれを信じればいいのか、かえってわからなくなりました(笑)。
 まず、そんなばらばらなことを思わせる教科書の書き方って、おかしくない
ですか?

 最初は、
http://iiyu.asablo.jp/blog/2006/02/16/255603
についてたコメントから。
--- ここから ---
通りすがり ― 2006-02-24T14:19:01+09:00
こんな浅はかなことを書いてしまうからITドカタ業界と
馬鹿にされてしまうのですよ・・・。orz
--- ここまで ---

 匿名でこういうことを書いてくる品性下劣な奴が、我々のコミュニティに
いないことを願ってます。\(^O^)/
 こういうのはおいといて、
--- ここから ---
英-Ran ― 2006-02-18T14:48:01+09:00
> でも、科学などといわれると、冗談だろうと
と書かれておりますが、中村様の言う科学の定義とはいったい何なのでしょう
か。
--- ここまで ---

 科学の定義というと人文系の科学もあるから広いけれど、ぼくの中では、
「飽くなき真理の探究」が一番広い意味の科学ですね。
 今回の文脈でいえば、数学を使って精密な議論をし、精密な観測や精密な実
験で検証し、その結果からまた数学を使って精密な議論をするということを繰
り返して、上昇スパイラルで真理を探究し続ける行為くらいでしょうか。

 数学のことをいうのは、数学が、いま、人類が手にしている最も精密な言葉
だからです。数学ファンなら、当然、さらに最も美しい言葉ということを付け
加えるでしょう。
 ぼくは悲しいことに数学という言葉が読み書きできないから、精密な議論は
できないけど、数学で定式化することで、数学的操作に非常に面白いことがわ
かるということくらいはわかってます。
 精密な観測と精密な実験というのは、言葉を変えると、その時代の最高の技
術を使ってということです。

 この文脈での経済学の科学性ということでは、テレビや雑誌に出てくる経済
学者やエコノミストが、どこの事務所のテレビ芸人?と思うこと以外にも、疑
問に思っていることが、ずっと前からいろいろあったし、いまでもあるんです。

 たとえば、ぼくがずっと昔から不思議なのは、なぜ、重要な経済指標がリア
ルタイムで発表されないのか。
 経済がそんなに重要なら、天気予報くらい、朝、昼、晩、テレビでやっても
いいでしょう? でも、リアルタイムでやってるのは株価と為替の情報ですよ
ね。GDP、消費者物価指数、鉱工業生産指数などというものが、なぜ、リアル
タイムで取れないのか。取ろうとしないのか。取れないとしたら、なぜ?
 物理学でも天文学でも生物学でも工学でも、必死で観測してデータを取りま
す。
 これまで観測できないとか、無理だといわれてきたものを技術革新と工夫と、
なんとかして取って、さらに精度を高めてといったことをやってきた歴史があ
ります。
 そのために何百億円、何千億円と使って、税金の無駄遣いだとか叩かれても
社会の理解を求めて、加速器を作ったり、望遠鏡を作ったり、探査機を打ち上
げたりするのに、経済学って、そういう必死さが伝わってこない。やってます
か?
 たとえば、e-Japanなんていってるくせに、どうして、経済指標リアルタイ
ム化計画なんてプロジェクトがないんですか?
 たとえば、法律を作ってでも、上場小売業は、販売データをオンラインリア
ルタイムで政府に提出させるくらいのことを言い出す経済学者って、います?
 いないとしたらなぜ? 最初から、あきらめてる? それともそういう発想
すらない? いずれも科学者の態度じゃないでしょ?

 当時の世界最速のコンピュータ、地球シミュレータが日本で完成して、ぼく
はしばらくどういう研究に使われるか、調べていたことがあったんです。経済
学はないんです。なぜ?
 経済現象は気象より複雑な現象でしょう? 違います? なぜ使わない?

 経済全体をシミュレートするのは、まだできないにしても、線形計画法って、
膨大な計算をするはずでしょ。ぼくは線形計画法の中身はわからないけど、カ
ーマーカー特許が線形計画法の特許だったことから、膨大な計算をすることく
らいはわかるんです。
 だったら、速いコンピュータが絶対をほしいはずなのに、なぜ、地球シミュ
レータを使おうとしない?
 セキュリティ上、ネットワークで使えないようになってるから、横須賀に行
かないといけないので、それがいやだから使わないというのなら、まだ話はわ
かる。
 でも、ぼくがいま思っている結論は、これは、父が危篤だったのに奇跡的に
持ち直して東京に戻ってくることができて出席できたFranzと数理システムの
Lispセミナーのこと、和田先生や湯浅先生からサインをもらったときのことを
書いたときに書いたはずですけど、日本の経済学は、スーパーコンピュータが
勘弁してくれと悲鳴を上げるほどのデータもとってないし、モデルもないとい
うものです。違ってますか?

 日本の例ですけど、実験ができない宇宙物理学者は、コンピュータシミュレ
ーションがしたくてスーパーコンピュータがほしくてほしくて、でもないから、
結局、自分たちでゼロから作ったんです。
http://grape.astron.s.u-tokyo.ac.jp/grape/
GRAPE
がそうだし、原子炉のシミュレーションをやるのに開発が開発された
http://www1.accsnet.ne.jp/~thoshino/PACS-story.html
PAX(旧名PACS)
もそうですよね。
 GRAPEなんて、計算機素人が作り始めて、ついには、コンピュータアーキテ
クチャのノーベル賞ともいえるゴードンベル賞を取るまでになったんですよ。
 こういう探究心、執念って、日本の経済学者に感じたことがないんです。
 前も書いたと思うけど、数学だって量子力学レベルが最低線で、その先にど
ういう数学を作っていくかを考えないと経済現象なんて定式化するのは大変だ
ろうなと思ってます。
 でも、既存の数学のレベルでも経済学がやれることっていっぱいあるんじゃ
ないですか。
 素人考えですが、景気の動向なんてのも、もっと精密に調べると東京で景気
がよくなってそれが地方に波及していく過程は、熱の拡散方程式で予想外にき
れいに記述できるなんてことはないんですか? 単に、景気、熱という連想で
しかないけど(爆笑)。
 そういうのをコンピュータによるビジュアル化で、日本地図にマップして、
東京が赤くなったら、なぜか地理的な近くじゃなくて、情報的に近い地域が、
たとえば東京の支店経済といわれる札幌や福岡がけっこう早く赤くなったりす
るのがみてたしてね。なるほど、情報ベースで経済現象が波及するんだとわか
るとかね。経済学には、早くそういうレベルに達してほしいですね。

 とまあ、こういう疑問はずっとあって、そこに、前、紹介した
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334032672/showshotcorne-22/ref=nosim
高安秀樹著「経済物理学の発見」(光文社新書)
を読んで、やっぱ、ちゃんと細かいところまでデータを取ると面白いことがわ
かるじゃんと。
 これは為替データでしたが、たしかコンピュータが記録した全取引のデータ
を調べてましたよね。そしたら、最も効率的で裁定取引なんかできないように
思える市場である為替市場でも、たしか、1日に5分くらいだったかな。裁定取
引ができる状況が生まれていたでしょ? もし5分としたら、プロの世界で、5
分って、すごいことでしょ?
 そういうのを発見したのは、経済学者じゃなくて物理学者ですよね。経済学
者、何をやってたんだと思いません?
 為替でそんな面白い話が出るんなら、経済指標ももっと細かく調べたら、ど
うなるんだと思いません? 思ったら、それをなんとしようというのが、科学
だと思うんですけど。

 ゲーム理論の話は、約束だから、また別に書くとして(いつになるんだろう^
^;)、金融工学も、経済学部卒の学生が使えないというので、ウォール街で雇
われたのは、数学者や物理学者や計算機科学者など、そして経済学者が雇われ
た場合は、数理経済学の人たちで、伝統経済学の人ってだめでしたよね。
 あの時期、いまはなき日経MIXの友人takunこと足立高徳さんが、自分の会社
じゃなくて、投資銀行というのか証券会社というか外資の仕事でデリバティブ
のプログラミングやってたんです。酒飲みながら、そういう話を聞いて、みん
ないろんなアイデアを実装していて、とっても楽しいと。なるほど、経済学っ
て、そういうことやってる部門もあるんだなと。
 でも、ゲーム理論や金融工学は、伝統的な経済学から、特に日本では異端扱
いされてきたでしょ? それでどうして科学なの?と思うんですけど、どうで
すか?
 そうやって異端、冷遇扱いしてたのに、ノーベル経済学賞がその分野で出る
と、掌を返したりしてません?

 数学に関しても、経済学の場合、数学を使っても定性的な議論がほとんどで
すよね。スティグリッツの入門教科書でも、あるのは算数みたいな数学だけだ
し、定量的な計算も算数レベル。
 理系の学部だと初年度から、算数よりはもっと高度な数学(笑)で、定量的な
話をします。定量的な話じゃないと、具体的なモノが作れませんからね。
 純粋数学と違って、物理学や工学と同様に、経済学だって現実の物理量に最
終的にはマップするわけでしょ。それでなぜ定量的な話を大学初年度からしな
いんだろうと。
 本屋でも経済学の数学といっても、微積分や統計の教科書が大学生向けにあ
って、中身はぼくらは高校生でやったことが書いてあるんです。これじゃ、理
系から相当遅れてるじゃん。経済学って、大丈夫なの?
 なぜ?と思って、以前、大学の入試科目を調べたことがあったんです。
 ぼくらの時代でいう、数3。微積分や統計やら高校で習う一番難しい数学ま
で入試科目に入っているかどうかを。
 東大、京大の経済学部はさすがに入っている。早稲田、慶応も入ってました。
でも、母校、九大には入ってないの。バカーと思いましたね。\(^O^)/
 私立が入試科目を軽くするのはわからんでもないんです。学生取らないと、
定員割れでもしたら経営難ですからね。でも、国立大学の経済学部で、国立の
くせに、旧七帝大なんていわれてるくせに、なんだ、これは。\(^O^)/
 理系よりやさしい数学しかやってない学生集めてどうするんだ。文学をやる
気はあっても、科学をやる気はないのかと思いましたね。\(^O^)/
 これから、国公立大学も民営化されるし、少子化で、こういう傾向は強まる
んだろうな。それじゃ、経済学のコミュニティが科学的に強くなるチャンスは
どんどん失われていくんじゃないかなと思いましたね。
 結局、いままでやってきたように、応用数学などから教員や学生を引っ張っ
てきて、科学の灯が消えないようにしないといけませんよね。でも、フレッシ
ュないい学生を取れずに、経済学のコミュニティが強くなっていくと思います
か?
 ぼくは経済学の科学性の将来にとっては大きな問題だろうなと感じています。

 英-Ranさんのメールもらってウェブを観て、経済学は実験ができないなんて
書いてありましたよね。ぼく、そういうのを天下りに受け入れてしまう人は、
学者や研究者をやめたほうがいいと思う。
 物理学だって理工学だって、実験不可能だといわれてきたことを、なんとか
実験できるようにしたり、直接は実験できなくても別のモデルに対応させて実
験可能にしたり、コンピュータシミュレーションができるような形に問題を変
形して解いてきたわけでしょ。
 文系の世界だって、心理学は実験できないといわれていたけど、ハブロフの
犬によって(笑)、実験心理学や行動心理学の世界ができましたよね。それが科
学ってことでしょう?
 経済学はなぜやらないの?と思って調べたら、ノーベル経済学賞には、ちゃ
んと実験経済学などの業績で取ってる人がいるじゃないですか。
 じゃあ、なぜ、経済学は実験できないということを言い訳のようにしている
んですか? 科学をやることを最初から放棄しているように思えてならないん
ですけどね。

--- ここから ---
英-Ran ― 2006-02-19T01:14:37+09:00
> 単位の次元があってない式を元に、これは科学だ、というのはどうでしょうかね

だから、それは単なる誤植なわけでしょ?
--- ここまで ---

 誤植というけど、単なる誤字脱字レベルには思えないわけ。
 その前に、
--- ここから ---
「ファインマンの書いた教科書に3年間修正されない単位間違いがあるならば、
米国の物理学コミュニティは馬鹿の集まり」などという命題を本気で信じてい
るのであれば、これ以上特に言うことはありません。主観の相違はいたし方の
ないことですので。
--- ここまで ---

 まず、出版では増刷のときに修正のチャンスがあることを知ってください。
だから、3年間という時間ではなく、第13刷という12回もチャンスがあるのに
やってないのが問題。
 表面的にはそういう話だけど、本質的には、コミュニティにとって教科書と
は、その時点の最良の知識と知恵を次世代に託す重要なものでしょ? どうい
う間違いであれ、長期間、ほったらかしだったら、そのコミュニティのレベル
を疑われても仕方ない。だから、仮にファイマンの教科書に間違いがあってず
っと訂正されないなら、米国の物理学コミュニティはバカの集まりです。少な
くとも教育には真摯な態度ではないです。

 ついでに、
--- ここから ---
kmori ― 2006-02-21T23:21:55+09:00
、K&RのThe C Programming Languageの日本語版(石田晴久訳、とくにANSI以前
のやつ)。この本の翻訳も、けっこう長い間間違いが放置されていて問題にさ
れてましたが、それをもって日本の計算機学会がダメダメだとは言わないでし
ょ?どの分野の本でも誤植はたくさんあります。
--- ここまで ---

 まず、kmoriさんも知っての通り、石田晴久がだめなのは、ぼくは電脳騒乱
節時代にも批判してきましたよ。そして、kmoriさんみたいに、個々には、世
界レベルの人はあちこちにけっこうな数がいるんだけど、全体的には日本の計
算機学界(学会じゃなくて学界のほうね)はアメリカに比べると、やっぱダメダ
メです。
 一般人にわかりやすい指標でいうと、この分野のノーベル賞といわれるチュ
ーリング賞受賞者はいますか?
 クヌース先生みたいな次世代に知識を残すことに執念を燃やしてる人、いま
すか?
 こういう点は、日本の計算機学界も業界も謙虚にならないといけないと思い
ますよ。自信を捨てろという意味ではなくてね。

 クヌース先生といって、知らない人がいるといけないので、何を話題にした
かというと、こういうことです。あまりの完璧主義なんですけどね。
 簡単にいうと、計算機アルゴリズムの大全集を作ろうと思った。でも、既存
のやり方だと、誤字脱字などがあるのがいや。既存の組版が気に入らない。特
に数式の組版が気に入らない。
 何をしたか。自分でTeXという組版システムを作った。
 フォントが気に入らない。自分でMETAFONTというフォントシステムを作った。
 この辺は、物理学者が、スーパーコンピュータを手作りしたのと、似た話。
 さらに、誤字脱字レベルであれなんであれ、間違いがあったらそれを報告し
た者に賞金を出すことにした。
 最初は何ドルだったかな。いま確認できないけど、だんだん、間違いが発見
されなくなって賞金は高くなっていきました。
 最初はほんと簡単な間違いでも賞金もらえたそうですが、そのうち、そんな
ものでは賞金がもらえなくなった。クヌース先生はチューリング賞受賞者でも
あるし、その間違いを指摘して賞金をもらえるというのは、大変名誉なことな
ので、どうなっていったかというと、新しい発見をして従来の学説を覆すレベ
ルじゃないともらえなくなるわけです。
 クヌースが、どういうレベルでものを考えて、懸賞金システムを仕掛けたか、
わかるでしょう?
 時代の最高のものを次に伝えたいという情熱。直ちに間違いの報告が集まる
ようにし、さらには、既存の学説を塗り替えるものを出させるような、仕掛け
までやったわけです。
 ぼくがその存在を知ったのは、学生時代か、就職してすぐくらいですが、こ
のコミュニティにはすさまじい人がいるもんだと、あきれると同時に身の引き
締まる思いもしました。
 ただ、あまりに完璧主義者なので、いまだに完成していません。\(^O^)/
 日本語訳なんか、出たり引っ込んだりみたいな状態ですね。
 この話にはオチがあって、賞金はクヌース先生のサイン入り小切手でもらえ
るんですが、みんな額に入れて家宝にするので、誰も換金しないから、クヌー
ス先生の懐は痛まなかったそうです。頭、いいよなあ。\(^O^)/
 余談だけど、そういう偉い人の立派な本であっても、ハードカバーは重たく
分厚い本が何冊にもなるので、普段は漬物の重石にしているなんて冗談半分で
いう人もいます。そういう権威にとらわれないプラグマティズムは、ぼくは好
ましく思ってますけどね。

 で、本題のほう。
 書いたあとのことについては、
--- ここから ---
半日庵 ― 2006-02-20T11:40:22+09:00
誤植だからと本質的な問題ではないという意見には、一面同意できます。
しかし、そこから、経済学を教えるものの姿勢が見えてしまいます。
今回話題になっている本は教科書だそうですが、なら、大学の講義とかで
使われるわけですよね。
私も経験があるのですが、教科書に誤植があると、先生は講義の時に
直すように言います。それを毎回、多くの経済学の先生達が何年も
続けていて、面倒に思わないのでしょうか。普通、出版社に講義して
直してもらいますよ。
それをしないというのは、経済の講義の時にあまりその誤植を
気にしない、そういう体質があるのだと解釈されても致し方ないと
思います。
--- ここまで ---
で、話はほとんど半日庵さんが代弁してくださってます。
 英-Ranさんとしては、それがなぜ、経済学のコミュニティに対する非難にま
でつながるのかということですよね。
 ぼくは、最初、kmoriさんの
--- ここから ---
kmori ― 2006-02-21T23:21:55+09:00
いつのまにか「単位と次元の間違い」とされているようですが、そうではなく
「従量税」「従量税額」と書くべきところを「従量税率」と書いてしまった、
という文章の誤植の問題です。
--- ここまで ---
という線だったんです。
 でも、すぐ、そうじゃないだろうなと思ったんです。
 それは、いままで縷々述べてきたように、経済学の科学性ということへの大
いなる疑問から発するもので、藪下史郎は、いままで一度も単位の次元など気
にしたことがないんじゃないか。読者も、あるいはこの教科書を使って教育し
ている人も、一度も単位の次元など気にしない人が多いじゃないかと。そう思
ったほうが自然だろうと。
 そして、こういう教科書執筆者を生んでしまうコミュニティって何だ、ほっ
たからしにしているコミュニティって何だ、という思いにつながったわけです。
 少しは納得できますか?

 あと、これは、直接は今回の話とは関係ないけど、英-Ranさんからメールを
もらった直接のきっかけは、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166603485/showshotcorne-22/ref=nosim
東谷暁著「エコノミストは信用できるか」(文春新書)
をぼくが紹介したことですよね。
 ぼくは、テレビや雑誌に出てくる経済学者やエコノミストは、なんといえば
いいのか、俗な言い方をすれば科学に裏打ちされた立派感がないし、その場そ
の場の流行のつまみ食いをやってるように感じていたから、東谷氏の主張が一
貫しているかどうかに評価の重きをおくのは、いいと思ってました。
 英-Ranさんは、それはおかしいというので、アインシュタインが原爆を作る
よう提言したのにあとで悔やんだりしたことを、主張の一貫性がないことの比
較にあげていたけど、これは比較すべき次元の話じゃありません。
 ユダヤ人として同胞がナチスに虐殺されまくっていた人間の決断の重みと、
日本のテレビ芸人みたいな経済学者やエコノミストが、主張を変えるお手軽さ
は、人間として比較不能なレベルの違いでしょう。不適切です。説得力があり
ません。

 もうすっかり遅くなったので、その他のことは、また時間があれば。