Google
ブログ(iiyu.asablo.jpの検索)
ホットコーナー内の検索
 でもASAHIネット(asahi-net.or.jp)全体の検索です。
 検索したい言葉のあとに、空白で区切ってki4s-nkmrを入れるといいかも。
 例 中村(show) ki4s-nkmr

ウェブ全体の検索

スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)2006年02月16日 00時26分00秒

ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
---
 スティグリッツ入門経済学第2版の薮下史郎が書いた(と思っている)文章に
ついて、あれこれ書いていたら終わらないのでショートバージョンにします。
ロングバージョンは、まだ3分の1くらいなのでそのうち。いつになるかわから
んけど。^^;
 朝ブロの
http://iiyu.asablo.jp/blog/2006/01/07/203037
光文社新書あれこれ
に、英-Ranさんから、コメントがついていた。
 英-Ranさんからは、2年前に経済学関係のメールを頂戴して、紹介しようと
思ってそのまま。すみません。スティグリッツ経済学についても書こうと思っ
ていながら、そのまま。すみません。

 今日書くのは、英-Ranさんの「藪下先生の文章のどこらへんの記述に問題を
感じたのでしょうか。特に問題のあるような記載は見つからなかったので、お
教えいただけたら幸いです」に答えるもの。

 素材は、
ジェセフ・E・スティグリッツ著、薮下史郎ほか訳「スティグリッツ入門経済
学 第2版」(東洋経済新報社)
 いまはもう
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4492313486/showshotcorne-22/ref=nosim
ジェセフ・E・スティグリッツ著、薮下史郎ほか訳「スティグリッツ入門経済
学 第3版」(東洋経済新報社)
が出ていて、第2版はアマゾンじゃ見つからない。だから、以下に書くことの
真偽は、自分で図書館で第2版を調べるなりしてください。

 おれは同時に、スティグリッツのマクロ経済学とミクロ経済学も買って3部
作を揃えたんだけど、最後まで読み通したのは、入門経済学だけ。なんか、こ
ういう経済学、おれ的にいえば経済文学の世界は、もういいと思ったんだね、
当時。\(^O^)/
 こういう経済学は科学じゃないもんね。経済学で曲りなりにも科学的なのは、
ゲームの理論や金融工学、理財工学など数理経済学だけでしょ。それでも、物
理学でいえば、やっとニュートン力学が登場したかどうかのレベル。\(^O^)

 経済文学なんて、所詮、錬金術。\(^O^)/ この錬金術って、金儲けの話
と中世の科学以前の錬金術のシャレになってることはわかっていただける?
 テレビや雑誌にコメンテータで出てきたり、扇情的な単行本を出している経
済学者やエコノミストがやってるのは、競馬の予想屋レベルの経済文学、それ
も出来の悪い文学。そういうのはもう要らない。断っておくが、競馬の予想屋
の世界も奥が深いんだよ。

 さて、本書は、ノーベル経済学賞受賞者のスティグリッツが書いた経済学の
教科書で、全世界で広く読まれているそうだ。この中で、早稲田の薮下史郎が
日本語版にだけある文章をいくつも書いている。
 その中におれが問題だと思っている箇所がある。
 まず、同書200ページ上から10行目あたり。以下のpcは、ほんとはpが小文字
でさらにcが下付きなんだけど、テキストじゃ表現できないので、Pcと書く。
Prも同様。句読点は、「,.」だが面倒なので「、。」のまま。
--- ここから ---
 以上からわかるように、消費者価格をPc, 生産者価格をPr, そして従量税率
をtで表せば、
 Pc = Pr + t
という関係が成り立つことがわかる。
--- ここまで ---

 この文章と数式は、理系の試験なら、大減点。おれの学生でも大減点。先生
によっては0点。下手するとマイナス点。\(^O^)/
 なぜなら、単位の次元がでたらめだから。価格と率という別の次元をもつ単
位を一緒くたにするのは、理系なら考えられない。
 100円 = 95円 + 5%
 こんな式を平気で書く奴を、絶対に信用してはならない。
 単位系や単位の次元の扱いは、基本中の基本として、理系なら厳しくいわれ
てきたはず。だって、単位系や単位の次元を間違うと、ビルは倒れるわ、飛行
機は墜落するわ、原発は爆発するわで、大変なことになる。
 経済学が科学じゃないことが、これだけでもよくわかるし、経済学者って雑
な仕事をしているんだなと思った。こういう人が、早稲田のCOEセンター長な
んだよ。大丈夫かと思わないほうが不思議でしょう?
 これと似た話は、最近、読んだ別の著書の本にもあって、それはまたロング
バージョンで。

 次は、201ページ下から2行目から202ページにかけて。以下でいう図とは、
199ページにある図5-18 タバコ税の経済効果という図のこと。文中のPtrは小
文字のpにtが上付き、rが下付き。
--- ここから ---
 図からもわかるように、政府余剰の増分は民間部門の余剰減少分を△EcErE
の額だけ下回る。これは、民間部門が負う実質的な税負担(=台形PtrPeEErの
面積)が政府に納める税金を上回ってしまうために発生するという意味でしば
しば税の超過負担と呼ばれる。
--- ここまで ---

 文中、台形PtrPeEErの部分が間違い。五角形PtrPtcEcEErじゃないと、図や
それまでの本文の話と整合性がない。

 以上2点、いずれも薮下史郎が書いた部分。もし、おれが間違っているなら、
謝るので指摘してほしい。

 世界で広く読まれている教科書に、日本独自の追加をして学生の理解の助け
にしたいというその心意気は買うが、仕事が雑なら台無し。ノーベル賞受賞者
の本に傷をつけてるんだもんね。
 スティグリッツが書いた部分は、独学でやってみようと読み始めた経済学の
初学者だったから、経済学の教科書としてのよしあしはよくわからなかったが、
さまざまなトピックを扱ったコラムも、なるほど経済学的にはそういう見方を
するのかとわかったりして楽しかったし、読み応えもあり、面白かった。もう
すっかり内容は忘れたけど。\(^O^)/
 それだけに薮下史郎が書いた部分が、残念ではある。もっとプロフェッショ
ナルな仕事をしてほしいね。

 それから、山形浩生さんが、
http://cruel.org/econ/matsubara.html
松原隆一郎へのお返事:ケインズが本当に言ったこと
で、以下のように書いている。
--- ここから ---
スティグリッツの『経済学』の第二版はいい教科書だよ。日本版についている、
日本に関する付記は当然読むべし。第三版はひどいと思うけど。でも、それも
ここの本題じゃない。
--- ここまで ---

 これが入門経済学第2版のことなら、山形さんのこの評価はおれは間違って
いるといいたい。
 第3版はこの前ご祝儀として買っただけでまだ読んでいないが、第2版は以
上述べたように、薮下史郎が書いた「日本に関する付記は当然読むべし。」じ
ゃなくて、「日本に関する付記は当然読むべし。ただし、眉につばをつけて、
雑な仕事に気をつけて」じゃないと足元をすくわれる。

 おれが買ったこの本は、1999年4月15日第1刷、そして2002年3月18日第13刷
というもの。
 おれが驚くのは、これほど定評ある本の間違いが3年間も、そして13刷にも
なっていながら、直ってないこと。これをおれは、学者、エコノミスト、学生、
そして担当編集者、全部ひっくるめて、日本の経済学コミュニティのレベルの
低さと受け取っている。
 だから、日本の経済学はだめなんだと。\(^O^)/

コメント

_ それって ― 2006年02月16日 12時42分44秒

単にt=5%じゃなくて、5%を掛けて求めた値、という意味では?
よくわからんが。

_ 通りすがりの人 ― 2006年02月16日 12時59分27秒

>単にt=5%じゃなくて、5%を掛けて求めた値
もし、t = 5% × Prと言いたいのなら、「従量税率
をtで表せば」ではなく、「Prにかかる従量税をtで表せば」
とでも言わなきゃならんのではと思う。
従量税”率”がtって言ってるのだから、tの単位が円じゃ
おかしいと思う。

実のところ、私も、よくわからんのだけど。

_ Arai Yoshinori ― 2006年02月16日 14時39分58秒

経済学の面白いところは、科学でないのに科学であるかのように精一杯なところでしょうか。シューマッハの仏教経済学が、ソローの森の生活と同じだと思うこのごろです

_ 鈴木 ― 2006年02月17日 02時16分49秒

どっかで中村さんと経済学の関係の記事を読んだことがあった記憶があったのですが、探してみたら下記でした。
http://bewaad.com/archives/themebased/2004/reflationpopularization.html

で、上記記事中に英-Ranさんのお名前が出てきてまして、その中に今回の中村さんのエントリにつながる話があって、ということだったんですね。

_ 鈴木 ― 2006年02月20日 20時28分04秒

 版元に、正誤表でもないかと思って探していたときに気づいたのですが、東京経済新報社の、スティグリッツ入門経済学(第2版)の紹介ページ

http://www.toyokeizai.co.jp/CGI/kensaku/syousai.cgi?key=jyanru&isbn=31257-9&code_1=01&code_2=010100

には、

『世界的に経済入門書の決定版としての地位を確立した原著の第2版。日本の読者のために4章分を追加執筆、内容も充実。問題の解答、要約などをインターネットで公開。』

とありますから、山形さんの

「スティグリッツの『経済学』の第二版はいい教科書だよ。日本版についている、日本に関する付記は当然読むべし。」

ってのは、そのスティグリッツが追加執筆した4章分のことかな、と思ったのですが、どんなもんでしょ?

_ 通りすがり ― 2006年02月24日 14時19分01秒

こんな浅はかなことを書いてしまうからITドカタ業界と
馬鹿にされてしまうのですよ・・・。orz

_ 通行人 ― 2006年02月24日 20時12分50秒

 Pc = Pr + tについては、間違いではないです。
 通常、従量税率は無次元ではなく、(貨幣単位/量)の次元を持っています。例えば、ガソリン税だと税率53.8(円/L)、ビールだと酒税率で222(円/L)、自動車重量税だとt当りでの税率です。
 したがって、価格(貨幣単位/量)と足し合わすのに何の問題もないです。

_ 通りすがり ― 2006年02月24日 20時22分15秒

言われている従量税についての誤植は誤解ですよ。こちらとか見てみると良いかもです。

http://reflation.bblog.jp/entry/276294/
http://ameblo.jp/econ-econome/entry-10009419439.html

_ 中村正三郎 ― 2006年02月24日 23時31分15秒

こっちも爆発してるのね。
ところで、「通りすがり」という奴。お前みたいな匿名の奴が、
「こんな浅はかなことを書いてしまうからITドカタ業界と
馬鹿にされてしまうのですよ・・・。orz」
と書くと、お前こそバカだなと思われるだけだよ。

_ 2ちゃんからきた ― 2006年02月28日 01時37分27秒

 経済学では・・・というか英語では、単位当たりの価格や料金、税額を
rateで書く。これをそのまま日本語に訳すときに「率」ということが
ある。(amountでは総額というニュアンスになる)
 例えば、最近では少なくなったけど、一人当たり賃金や時間当たり
賃金を「賃金額」ではなく「賃金率」と書いている教科書はかなりある。
また、経済学の文献を英語で読めば、上記の用法でのrateは普通に出
てくる。
 たしかに、スティグリッツのような入門書では、いきなり「率」と書
くのは解説不足との批判は免れない。しかし、自分の不勉強と不見識を
自覚することもなく、ブログで恥を曝しているのもいかがなものかと思
うが・・・。
 つーか、Stiglitzの英語版の該当部分はどうなっているんですか?
「科学」に照らして批判するくらいだから、当然のように原書を確認し
ているんですよね?

_ 枻川 清 ― 2006年08月25日 04時09分16秒

みんな知らないの??『俺らはstoryに操られている』んだよ!
すべての悪は、『利益課税』と言われる悪の税金のお陰なんだよ!!!所得税や、法人税、消費税、といった・・・!!!
もっと、愛の税金と言われる『費用課税』を採用しなきゃ!!!必要経費税、逆人頭税、法人経費税、生産費税・・・・こう言った税金を採用しないと、
物凄くおっかない事が起きるよ!!??#####&&&%%

http://www2.plala.or.jp/TAX/plalaboard/message/122.html

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
一富士、二鷹、三は? ひらがなで。

コメント:

トラックバック

_ 辛苦みつつ降りき - 2006年02月16日 03時33分27秒

http://iiyu.asablo.jp/blog/2006/02/16/255603 たまたま手元にスティグリッツ第二版(ちなみに第4版)があったもので。 どちらもミスであることは間違いないし、それを修正しないのは出版社の怠慢だけど、全然本質的な話じゃないですよ。 一つ目に関しては単純に「率」をとるか、「従量税率→従量税額」とでも直せば十分話が通じます。そのすぐ後で「t」は税「額」だといっているわけだし、全く本質的な指摘ではない。 中村さんの論法だと、「それなりにインテリのイギリス人の書いた文章 ...

_ 石川直太 - 2006年02月17日 11時43分12秒

中村正三郎さんのブログへのトラックバックです。
中村正三郎様、ご無沙汰しております。
以前、ゲーム「ウィザードリ」とXMLの件でホットコーナーに投稿させていただいた、
石川直太 (いしかわ なおた)でございます。

> なぜなら、単位の次元がでたらめだから。価格と率という別の次元をもつ単
位を一緒くたにするのは、理系なら考えられない。
> 100円 = 95円 + 5%
> こんな式を平気で書く奴を、絶対に信用してはならない。

この問題の一因は、事務用電卓ではないかと思いました。事務用電卓の多くには「%」キーがあり、
95 + 5 % = 99.75
のように計算できます。
事務用電卓を使う分野の方々には、単位も次元もないのかもしれません。
小売店の店員はそれでいいのかもしれませんが、経済学者がそれでは困ります。
私も使っている理工系向けの関数電卓には、「%」キーはありません。

統計学教育にも、似たような問題があります。
某大学の環境情報学部と総合政策学部には、
統計パッケージの使い方を教える授業はありますが、統計学の原理を教える授業がありません。
そのために、卒業論文発表会を聞きながら私が検算して、
「それは統計的に有意でありません」と、何人も論破しました。

元そこの教授だった某大臣も、ひょっとするとその程度だったりして。(爆)

_ bewaad institute@kasumigaseki - 2006年02月24日 02時54分07秒

最近A.R.Nでの思わせぶり(笑)な記述(例:2/21のそれ)が気になってどこのことだろうと探していました。これまでの英-Ranさんの軌跡を考えれば早く気がつかなかったwebmasterはうかつだと今にして思うわけですが、中村正三郎のHOT CORNERでのことであるとようやく見つけることができました。コメント欄では当サイトまで出てきていることですし、取り上げてみたいと思います。
#当サイトがらみの話は議論の組み立て上最後に回すこととさせていただきます。
さて、中村正三郎さんによるご指摘は大きく分けて3つの部分からなるものとwebmasterは理解します。具体的には次のとおりです。

スティグリッツ「入門経済学(第2版)」中の記述に関するもの
日本の「経済学コミュニティ」に関するもの
経済学一般に関するもの

それぞれについて切り分けて議論すべきかと存じますので、以下順に。
スティグリッツ「入門経済学(第2版)」中の記述について
中村正三郎さんのご指摘は次のとおりです。

まず、同書200ページ上から10行目あたり。以下のpcは、ほんとはpが小文字でさらにcが下付きなんだけど、テキストじゃ表現できないので、Pcと書く。Prも同様。句読点は、「,.」だが面倒なので「、。」のまま。--- ここから ---以上からわかるように、消費者価格をPc, 生産者価格をPr, そして従量税率をtで表せば、Pc = Pr + tという関係が成り立つことがわかる。-- ここまで ---この文章と数式は、理系の試験なら、大減点。おれの学生でも大減点。先生によっては0点。下手するとマイナス点。\(^O^)/なぜなら、単位の次元がでたらめだから。価格と率という別の次元をもつ単位を一緒くたにするのは、理系なら考えられない。100円 = 95円 + 5%こんな式を平気で書く奴を、絶対に信用してはならない。(略)次は、201ページ下から2行目から202ページにかけて。以下でいう図とは、199ページにある図5-18 タバコ税の経済効果という図のこと。文中のPtrは小文字のpにtが上付き、rが下付き。--- ここから ---図からもわかるように、政府余剰の増分は民間部門の余剰減少分を△EcErEの額だけ下回る。これは、民間部門が負う実質的な税負担(=台形PtrPeEErの面積)が政府に納める税金を上回ってしまうために発生するという意味でしばしば税の超過負担と呼ばれる。--- ここまで ---文中、台形PtrPeEErの部分が間違い。五角形PtrPtcEcEErじゃないと、図やそれまでの本文の話と整合性がない。以上2点、いずれも薮下史郎が書いた部分。もし、おれが間違っているなら、謝るので指摘してほしい。


「スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/16付)
これは事実関係としては中村正三郎さんのご指摘のとおりで、明らかな誤りです。この点については誰も異論がないと思います。議論があるとすれば「こんな式を平気で書く奴を、絶対に信用してはならない」の部分で、コメント欄でも単なる誤植ではないかという指摘がなされています。「この文章と数式は、理系の試験なら、大減点」云々は理系でなくても経済学であっても当然のことで、藪下先生が本気でこう書きたいと思って書いたなら誰も信用しないのは理系に限りません。
#当該部分の執筆者が藪下先生かどうかには疑義があるようですが、この文脈においては本質的な話ではないので紹介にとどめます。
ここから発展して次の問題に至るわけですが、書物においてある間違いを発見した際に著者本人がそう書こうと思ったのか誤植だろうと推測するのかはそもそもの著者に対する信頼性にもよるでしょう。例えば中村さんがよく知っていて信頼している人の本にそのような間違いがあれば、本気でそのように書こうとしたとは考えもせず、せいぜいが著者校正が甘いんじゃないのといった感想にとどまるでしょう。
つまりは「平気で書く奴」かどうかの判断は記述のみには依存しない点があり、そこが次の問題につながっていくわけです。
日本の「経済学コミュニティ」について
上記の誤りを前提に、中村正三郎さんは次のように話を進めていらっしゃいます。

おれが買ったこの本は、1999年4月15日第1刷、そして2002年3月18日第13刷というもの。</p><p>おれが驚くのは、これほど定評ある本の間違いが3年間も、そして13刷にもなっていながら、直ってないこと。これをおれは、学者、エコノミスト、学生、そして担当編集者、全部ひっくるめて、日本の経済学コミュニティのレベルの低さと受け取っている。</p><p>'}}だから、日本の経済学はだめなんだと。\(^O^)/


「スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/16付)
これもこの部分だけを取り上げるならおっしゃるとおりで、東洋経済新報社におかれてはきちんと訂正していただきたいとはっきり申し上げておきます。
ただ「この部分だけを取り上げるなら」と留保をつけたように、もう少し視野を広げるとご指摘が妥当かどうかについては即断できません。というのも次のようなご指摘があるからです。

化学の式が物理学の式と違って見えても何も不思議に思わなかったり、物理や数学の教科書に誤植があっても普段は軽く文句を言って素通りするのに、対象が経済学だというだけでここまで違う見方をするということは、単なる偏見かイデオロギーにすぎないわけだ(いや、もちろん数学だろうが物理学だろうが小説だろうが、あらゆる誤植は決して許さんという人がいるなら、それは謝る。おそらく、世のほとんどの本は読めないだろうが)。


「いまさら」(@A.R.N2/21付)

たしか、けっこう有名な数学の教科書に正しくは「8」であるべき部分が「∞」になっていたとか、そういう話はいろいろありますよね。それから、K&RのThe C Programming Languageの日本語版(石田晴久訳、とくにANSI以前のやつ)。この本の翻訳も、けっこう長い間間違いが放置されていて問題にされてましたが、それをもって日本の計算機学会がダメダメだとは言わないでしょ?どの分野の本でも誤植はたくさんあります。


「Re: スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/17付)におけるkmoriさんのコメント(webmaster注:「K&RのThe C Programming Languageの日本語版(石田晴久訳、とくにANSI以前のやつ)」とはカーニハン、リッチー「プログラミング言語C」のことです(ただし、リンク先はANSI準拠版です))
ここでは、英-Ranさんやkmoriさんは中村正三郎さんが暗黙の前提としている点に問題を見出しています。引用部だけを見れば絶対基準で難じていますが、その前の「理系なら考えられない」等の記述とあわせ考えれば、日本の経済学コミュニティが日本の理系コミュニティに比べて劣っていると相対基準で難じていると理解する方が合理的でしょう。
であるなら、単に一例をもってその根拠とすることには問題があると言わざるを得ません。例外足り得るのは理系コミュニティにおいてそうした事例がゼロである場合ですが、そうでないのは英-Ranさんやkmoriさんがご指摘のとおりです。もしも「日本の経済学コミュニティのレベルの低さ」を引き続きご主張されるというのであれば、ある程度の客観性のあるデータにより、例えば経済学関連書籍における誤植の放置期間が理系のそれに比べて有意に長いことを示す必要があるでしょう。
経済学一般について
ここまでの議論は理屈で追いかけることができるわけですが、ここでの議論は若干推測や憶測が入ってくる世界となります。これは双方にありまして、英-Ranさんの側においては、中村正三郎さんが経済学に対してバイアスがあるため解釈の分かれる部分についてすべて悪い方を採用しているのではないかというものです。これにきちんとした根拠があるかといえばないわけですが、次に見るようにwebmasterは十分に状況証拠はあるのではないかと思います。いくつかあるので順に取り上げてみます。

おれは同時に、スティグリッツのマクロ経済学とミクロ経済学も買って3部作を揃えたんだけど、最後まで読み通したのは、入門経済学だけ。なんか、こういう経済学、おれ的にいえば経済文学の世界は、もういいと思ったんだね、当時。\(^O^)/こういう経済学は科学じゃないもんね。経済学で曲りなりにも科学的なのは、ゲームの理論や金融工学、理財工学など数理経済学だけでしょ。それでも、物理学でいえば、やっとニュートン力学が登場したかどうかのレベル。\(^O^)/経済文学なんて、所詮、錬金術。\(^O^)/ この錬金術って、金儲けの話と中世の科学以前の錬金術のシャレになってることはわかっていただける?


「スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/16付)
スティグリッツ経済学は学部レベルのテキストですが、経済学は高校までではほとんど教育がなされていないと言ってよいので、いきおいその説明はやさしいものにならざるを得ません。しかしそれと学問としての高低を同一視するのはナンセンスです。例えば多くの選手が小学校時代から競技に親しんでいる野球と体格・成長との関係上大学からでないと本格的に開始できないウェイトリフティングにおいて、大学の体育会の部で野球は最初から高度な練習をし、ウェイトリフティングはまずは姿勢や道具の使い方から学ぶ必要がありますが、それは2つの競技の優劣を示すものでは何らありません。ブランチャード、フィッシャー(マクロ)やディキシット(最適化)を読めばよもや「経済文学」とは言えますまい。
逆の例を持ち出すなら、E=mc^2以外の数式を掲載しなかった「ホーキング、宇宙を語る」の存在ゆえに宇宙物理学は「宇宙物理文学」と呼び、こういう物理学は科学ではないとすべきなのでしょうか。yesというならばそれはそれで1つの立場だと思いますが、noであるならダブルスタンダードのそしりは免れないでしょう。
最後に「曲がりなりにも科学的」とお認めいただいたゲーム理論その他ですが、「物理学でいえば、やっとニュートン力学が登場したかどうかのレベル」というのはどのような趣旨でしょうか? あれこれ下衆の勘繰りをしても仕方がないのですが、とりあえず使っている数学のレヴェルが微積分だというなら‐当然そういった数学はミクロ・マクロだって使っていて、経済学全般を「曲がりなりにも科学的」とお認めいただかないことにはならないのですが(笑)‐、それはオッカムの剃刀できちんと刈り込まれていることの証拠でしかないのですけれども。

テレビや雑誌にコメンテータで出てきたり、扇情的な単行本を出している経済学者やエコノミストがやってるのは、競馬の予想屋レベルの経済文学、それも出来の悪い文学。そういうのはもう要らない。断っておくが、競馬の予想屋の世界も奥が深いんだよ。



単位系や単位の次元の扱いは、基本中の基本として、理系なら厳しくいわれてきたはず。だって、単位系や単位の次元を間違うと、ビルは倒れるわ、飛行機は墜落するわ、原発は爆発するわで、大変なことになる。経済学が科学じゃないことが、これだけでもよくわかるし、経済学者って雑な仕事をしているんだなと思った。こういう人が、早稲田のCOEセンター長なんだよ。大丈夫かと思わないほうが不思議でしょう?


「スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/16付)

ぼくは、経済学が意味がないとか、役立たずとは思ってないし、人類の役には立ってると思ってる。でも、科学などといわれると、冗談だろうと(一応、数理経済学は除外しておくけどね)。生命のメカニズムやゲノムがわかってなくても、大昔から農業は品種改良なりの工夫で人類の役に立ってきたでしょ。そういう意味では役に立ってるとは思ってますよ。でも、経済学が科学だといわれると、自然や科学をなめているんじゃないかと。一番ひどいのが、世間でテレビや雑誌のコメンテーターとして出てきたり、扇情的な単行本を出している経済学者、エコノミストなどという連中ね。競馬の予想屋のほうがよっぽど、馬に対して謙虚ですよ。\(^O^)/


「Re: スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/17付)
「扇情的な単行本を出している経済学者、エコノミスト」に対する怒りにおいてwebmasterは決して中村さんに劣るものでないと自負しておりますが、ここで中村さんは明らかに特称命題と全称命題を混同しているわけで、他人の批判をする前にまずはわが身を振り返ってはとついつい思ってしまいます。「ある経済学者やエコノミストが非科学的である」という命題が真であることは「全ての経済学者やエコノミストが非科学的である」という命題が真であることの裏づけにはならず、まして「経済学が科学じゃない」という命題についてはなおさらです。それがなぜかを説明する必要はないですよね?
「単位系や単位の次元の扱いは、基本中の基本として、」経済学でも厳しく言われてきたはずです。だって、単位系や単位の次元を間違うと、GDPは算出できず、物価はわけがわからず、余剰計算も成立せずで大変なことになってしまいます。だから単位系や単位の次元の扱いに誤記があっても、それは誤植だろうとか、百歩譲ってもその人がトンデモだと考えるのが普通であって‐だって、理系でそういうことがあればそうお考えになるはずですよね、この文脈であれば‐、それを「経済学が科学じゃないといわれると、経済学をなめているんじゃないかと」。
わが身に照らしてお考えいただくため、嫌味なやり方だとwebmaster自身思いますが、あえてあてこすってみましょう。故糸川英夫博士を日本ロケット工学の父、日本のロケット工学の偉人と中村さんはおっしゃっています。他方、糸川先生は「トンデモ本の世界において、とある殺人事件の原因を冷夏による米不足のせいで人間の生存本能が刺激されたためとする主張をもってトンデモ認定されています。中村さんだって、トンデモ認定を持ち出してロケット工学の業績まで否定する主張に接したときには憤りを感ぜずにはいられないと思います。経済学に科学としての側面を見出している人間にとって、中村さんのおっしゃりようはそうした主張と同類のものとして受け止められているのです。
webmasterへのリクエストについて

それにしても疑問なのは、こういうところで初学者が引っかかる可能性を考えていなかったのかどうか(あるいは、経済学者はこの式の誤りや他の誤りを何ら問題と思っていなかったのかどうか)、ですね。経済学では、この式で何ら問題がない、と考えるとか、あるのか知らん?素人の勝手な願望としては、このあたりbewaadさんhttp://www.bewaad.com/が解説してくれるとうれしいなあ。


「Re: スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン)」(@中村正三郎のHOT CORNER2/17付)における鈴木さんのコメント
というわけで以上からご賢察いただけると存じますが、経済学であってもあの式は大問題ですし、初学者が引っかかっても当然です。インサイダー情報を持っているわけではありませんので、誰か誤りを指摘する者がいたのかどうか、いたとして著者and/or出版社が受け入れなかったのかどうか等、なぜ刷を重ねても訂正されなかったのかは知りませんが、少なくとも経済学があれを是認するような学問ではないことは断言できます。
日本の経済学コミュニティのしがらみがあるかないか、あるとしてそれがどんなものかを知る立場にはありませんが、相互批判がまったく行われないほどのものではありません。学者や院生であればいろいろと面白い話もご紹介できるのでしょうけれど(笑)、そうでない身として入手が容易なものをご紹介するなら、野口旭「経済学を知らないエコノミストたち」、田中秀臣、野口旭、若田部昌澄「エコノミスト・ミシュラン」あたりをご覧いただければ、その片鱗はおわかりいただけるのではないかと思います。

_ ホットコーナーの舞台裏 - 2012年01月31日 07時06分13秒

ASAHIネット(http://asahi-net.jp )のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
---
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20120125/203930/?ref=ML
報道が間違えやす

_ ホットコーナーの舞台裏 - 2012年09月03日 10時19分43秒

ASAHIネット(http://asahi-net.jp )のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
---
 お買い上げありがとうございます。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN