従量税と従量税率 ― 2006年02月26日 03時29分52秒
ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
---
ぼくが話題にした、スティグリッツ入門経済学第2版の200ページの問題。
なお、問題の部分は、スティグリッツが書いた部分ではなく、日本語版にだ
けある部分。これは、ぼくは、藪下史郎が書いたとほぼ確信している部分(こ
れは最後におまけで説明します)です。
http://iiyu.asablo.jp/blog/2006/02/17/257215
に、
--- ここから ---
ざっと、コメントみたけど、みんなばらばらですね。
おれはどれを信じればいいのか、かえってわからなくなりましたね(笑)。
そんなばらばらなことを思わせる教科書の書き方って、おかしくないですか?
--- ここまで ---
と書いたことの説明。
スティグリッツ入門経済学第2版で、従量税率という言葉が出てくるのは、
索引によればこの部分だけ。そして、従量税率の定義を書いていない。これは
教科書としては不適切。だから、混乱する。
ちなみに、「率」がついてない従量税という言葉の定義は、2ページ前の198
ページにある。
--- ここから ---
前者の代表例は取引数量1単位当りについて一定の税額を定める従量税、後者
の代表例は取引価値額に対する税額の割合を一定比率に定める従価税である。
--- ここまで ---
この書き方も量を定義しているかのような印象を与えかねないので、よくな
い。
書くなら、「取引数量1単位当りについて一定の税額を定める方式である従
量税」などと、量でないことをはっきりさせたほうがいい。
kmoriさんは、従量税あるいは従量税額と書くべきところを従量税率と書い
たのがおかしいので、tを従量税あるいは従量税額とすればいい、そうすれば、
単位の次元の問題もなくなるからという意見。
ここからは、kmoriさんは従量税という言葉は、量を定義した言葉だと思っ
ている、あるいはそういう書き方をこの本がしていると思っていることがうか
がえる。
従量税が量なら、定義から、税額/取引数量単位という次元をもっていて、
従量税率という言葉は、その率なんだから、さらに取引数量単位で割って、取
引数量単位の-2乗の次元があるなどと思っちゃうものね。
ぼくは、従量税率という言葉は無次元の量ならそのままでもいい。率なら従
価税になるんじゃないかという意見には、取引数量1単位あたりの税の割合と
定義してあれば通用すると思うけれど、だめ?
で、式を
Pc = Pr + t から、Pc = Pr * (1 + t)
と
Pc - Pr = Pr * t
にするのが、文章的にも数学的にも(数学というより算数ですけど)、単位の次
元の問題もなく、一番はっきりしてわかりやすいと思っていました。
ところが、捨て台詞を吐いた奴と同一人物?が残したリンク、
http://ameblo.jp/econ-econome/entry-10009419439.html
をみると、経済学の常識は、そうじゃないんですね。
従量税率=(1単位の数量に対する税額)/(1単位の数量)
と書いてある。
えっ、でしょう?
こんな単位をもった量なのに、定義なしで教科書を書いていたのかと思いま
した。
経済学では、こういう書き方ありなの?
理系の人間にとっては驚天動地だと思うけど。
たとえば、物理学や天文学だと、新書の入門書レベルでも、こういう書き方
はしないと思うし、それは、そういう教育をコミュニティがしてきたからです
よね。
数学が発展途上だから、多くを自然言語に頼るしかないことを思うと、この
やり方は、ずいぶんと杜撰に思いますね。
なんだか、科学以前、文学以前の世界に思えるんですけど。\(^O^)/
これ↓
http://reflation.bblog.jp/entry/276294/
は、「率」がお嫌いですかなんていってるけど、「率」が嫌いじゃなくて、け
っこう重要な量を定義なしに持ち出す無自覚さが嫌いだといったほうが正確で
しょうね。
「基本:誤植を持ち出して拡大解釈したうえに、いろいろ他人を誹謗中傷する
なかれ」
といってるけど、ますます簡単な誤植とは思えなくなってきています。
話は単に誤字脱字レベルの話じゃなくて、意識のありようのレベルになるん
じゃないですか。そういう意識を育てた教育って何だろうなとも思ったから、
コミュニティの問題も感じますね。
おまけで、問題部分を藪下史郎が書いたと思う理由。
1 訳者はしがきでどの章を誰が担当したか責任を明確にしている(これはい
いこと)が、日本語版にだけある補論や日本向けコラムは明確にしてない。よ
ってこれはリーダーであり、一番偉い藪下史郎が書いたとみなして当然だし、
責任も彼にある。
これで話はほとんど終わり。さらに付け足し程度に書いておくと。
2 補論は前の補論を受けているところもあって、一人の著者が書いているこ
とをうかがわせる。
次はもっとどうでもいいことだけどネタとして。
3 201ページ最下行からの五角形と書くべきを台形と書いている部分と同じ
ような杜撰さ(文学的ではなく初等幾何学的に間違ってる(苦笑))を藪下史郎の
著書にも感じた。
具体的には、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334031498/showshotcorne-22/ref=nosim
藪下史郎著「非対称情報の経済学」(光文社新書)
この173ページに、図5-2「年功賃金制度と固定賃金制度」という図がある。
このグラフの重要ポイントに記号を振ってあるが、なぜ、こんな記号の振り方
をするのか、頭が悪いからおれには理解不能(笑)。
原点がOなのは常識的。でも、その後、ABCDと振っていくのかと思えば、
Aは使わずBCDと使う。そして謎なのが、突然、Jを使うこと。これがおれ
に混乱をもたらした。
176ページ3行目から。
--- ここから ---
その労働者たちは、教育訓練を受けているOJT期間中は、低い賃金を受け取
り、技能を習得した後のJD期間には高い賃金を受け取る。
--- ここまで ---
OJTとJDのこういう使い方は、この後でも出てくる。
OJTは、略語の説明はないけれど、常識的であってOn the Job Training
の略でいい。
そして、OJT期間ときて、JD期間ときたから、おれはJDって何の略語
だろうとしばし固まった(笑)。そしたら、3ページ前の図にあったJとDを結
ぶ直線のことだった。\(^O^)/
どうして、こう紛らわしい記号の振り方をするんだろうか。どういう習慣な
んだろうかと思って、このJDというのが何かの略語かと調べた。けれど、
Juris Doctor(法学博士)、Julian Date(ユリウス日)、日本エアシステムくら
いしかない。
だから、なぜ、グラフにJとDという記号を使ったのかおれには必然性がわ
からない。誰か、わかりますか?
OJTが略語ならJDも略語かと連想させそうだし、逆にJDがグラフ上の
直線なら、OJTは原点OからJを通ってTに向かう線を連想させそうだけど、
もちろん、T点はグラフにはない(笑)。
紛らわしい記号を使わない配慮がなぜないんだろう。編集者も何をやってる
んだろうなと思いました。
これにおれは、五角形と書くべきところを台形と書いてしまうのと同じ杜撰
さを感じて、ああ、あれはやはり藪下史郎の文章だろうなと。
あと、長文のコメントかトラックバックかついてたけど、科学というなら、
大学の学部初年度でやってることは、理系に比べて遅れているという話で、も
ういいでしょ?
ということで、この話題は、これでおしまいにします。
英-Ranさんに約束した、ゲーム理論の話は、府中の図書館から借りて昔読ん
だ鈴木光男先生の本を、また借りてきています。それとその改訂版にあたるも
のを買ってきました。ざっと再読してみて、伝統的経済学から相当にいじめら
れたんだなと、改めて感じました。
東芝府中が、日本選手権決勝に勝って、ラグビーの3冠を達成したら気持ち
よく書くかもしれないけど、負けたら落ち込んでいつ書くかわかりません。\(^O^)/
買っても祝勝会やって飲んだくれて書けないかもしれないし。すみません。
でも、必ず書きますから、時間をください。
もう眠たいので、寝ます。
一銭にもならないのに、2日続けて、こんなにがんばってバカみたい。\(^O^)/
でも、とにかく一段落しないと、すっきりラグビー観戦できないものね。ラ
グビー観戦に備えられただけでもよかったです。
明日は、午前中に風呂に入って体を清めて観戦します。\(^O^)/
---
ぼくが話題にした、スティグリッツ入門経済学第2版の200ページの問題。
なお、問題の部分は、スティグリッツが書いた部分ではなく、日本語版にだ
けある部分。これは、ぼくは、藪下史郎が書いたとほぼ確信している部分(こ
れは最後におまけで説明します)です。
http://iiyu.asablo.jp/blog/2006/02/17/257215
に、
--- ここから ---
ざっと、コメントみたけど、みんなばらばらですね。
おれはどれを信じればいいのか、かえってわからなくなりましたね(笑)。
そんなばらばらなことを思わせる教科書の書き方って、おかしくないですか?
--- ここまで ---
と書いたことの説明。
スティグリッツ入門経済学第2版で、従量税率という言葉が出てくるのは、
索引によればこの部分だけ。そして、従量税率の定義を書いていない。これは
教科書としては不適切。だから、混乱する。
ちなみに、「率」がついてない従量税という言葉の定義は、2ページ前の198
ページにある。
--- ここから ---
前者の代表例は取引数量1単位当りについて一定の税額を定める従量税、後者
の代表例は取引価値額に対する税額の割合を一定比率に定める従価税である。
--- ここまで ---
この書き方も量を定義しているかのような印象を与えかねないので、よくな
い。
書くなら、「取引数量1単位当りについて一定の税額を定める方式である従
量税」などと、量でないことをはっきりさせたほうがいい。
kmoriさんは、従量税あるいは従量税額と書くべきところを従量税率と書い
たのがおかしいので、tを従量税あるいは従量税額とすればいい、そうすれば、
単位の次元の問題もなくなるからという意見。
ここからは、kmoriさんは従量税という言葉は、量を定義した言葉だと思っ
ている、あるいはそういう書き方をこの本がしていると思っていることがうか
がえる。
従量税が量なら、定義から、税額/取引数量単位という次元をもっていて、
従量税率という言葉は、その率なんだから、さらに取引数量単位で割って、取
引数量単位の-2乗の次元があるなどと思っちゃうものね。
ぼくは、従量税率という言葉は無次元の量ならそのままでもいい。率なら従
価税になるんじゃないかという意見には、取引数量1単位あたりの税の割合と
定義してあれば通用すると思うけれど、だめ?
で、式を
Pc = Pr + t から、Pc = Pr * (1 + t)
と
Pc - Pr = Pr * t
にするのが、文章的にも数学的にも(数学というより算数ですけど)、単位の次
元の問題もなく、一番はっきりしてわかりやすいと思っていました。
ところが、捨て台詞を吐いた奴と同一人物?が残したリンク、
http://ameblo.jp/econ-econome/entry-10009419439.html
をみると、経済学の常識は、そうじゃないんですね。
従量税率=(1単位の数量に対する税額)/(1単位の数量)
と書いてある。
えっ、でしょう?
こんな単位をもった量なのに、定義なしで教科書を書いていたのかと思いま
した。
経済学では、こういう書き方ありなの?
理系の人間にとっては驚天動地だと思うけど。
たとえば、物理学や天文学だと、新書の入門書レベルでも、こういう書き方
はしないと思うし、それは、そういう教育をコミュニティがしてきたからです
よね。
数学が発展途上だから、多くを自然言語に頼るしかないことを思うと、この
やり方は、ずいぶんと杜撰に思いますね。
なんだか、科学以前、文学以前の世界に思えるんですけど。\(^O^)/
これ↓
http://reflation.bblog.jp/entry/276294/
は、「率」がお嫌いですかなんていってるけど、「率」が嫌いじゃなくて、け
っこう重要な量を定義なしに持ち出す無自覚さが嫌いだといったほうが正確で
しょうね。
「基本:誤植を持ち出して拡大解釈したうえに、いろいろ他人を誹謗中傷する
なかれ」
といってるけど、ますます簡単な誤植とは思えなくなってきています。
話は単に誤字脱字レベルの話じゃなくて、意識のありようのレベルになるん
じゃないですか。そういう意識を育てた教育って何だろうなとも思ったから、
コミュニティの問題も感じますね。
おまけで、問題部分を藪下史郎が書いたと思う理由。
1 訳者はしがきでどの章を誰が担当したか責任を明確にしている(これはい
いこと)が、日本語版にだけある補論や日本向けコラムは明確にしてない。よ
ってこれはリーダーであり、一番偉い藪下史郎が書いたとみなして当然だし、
責任も彼にある。
これで話はほとんど終わり。さらに付け足し程度に書いておくと。
2 補論は前の補論を受けているところもあって、一人の著者が書いているこ
とをうかがわせる。
次はもっとどうでもいいことだけどネタとして。
3 201ページ最下行からの五角形と書くべきを台形と書いている部分と同じ
ような杜撰さ(文学的ではなく初等幾何学的に間違ってる(苦笑))を藪下史郎の
著書にも感じた。
具体的には、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334031498/showshotcorne-22/ref=nosim
藪下史郎著「非対称情報の経済学」(光文社新書)
この173ページに、図5-2「年功賃金制度と固定賃金制度」という図がある。
このグラフの重要ポイントに記号を振ってあるが、なぜ、こんな記号の振り方
をするのか、頭が悪いからおれには理解不能(笑)。
原点がOなのは常識的。でも、その後、ABCDと振っていくのかと思えば、
Aは使わずBCDと使う。そして謎なのが、突然、Jを使うこと。これがおれ
に混乱をもたらした。
176ページ3行目から。
--- ここから ---
その労働者たちは、教育訓練を受けているOJT期間中は、低い賃金を受け取
り、技能を習得した後のJD期間には高い賃金を受け取る。
--- ここまで ---
OJTとJDのこういう使い方は、この後でも出てくる。
OJTは、略語の説明はないけれど、常識的であってOn the Job Training
の略でいい。
そして、OJT期間ときて、JD期間ときたから、おれはJDって何の略語
だろうとしばし固まった(笑)。そしたら、3ページ前の図にあったJとDを結
ぶ直線のことだった。\(^O^)/
どうして、こう紛らわしい記号の振り方をするんだろうか。どういう習慣な
んだろうかと思って、このJDというのが何かの略語かと調べた。けれど、
Juris Doctor(法学博士)、Julian Date(ユリウス日)、日本エアシステムくら
いしかない。
だから、なぜ、グラフにJとDという記号を使ったのかおれには必然性がわ
からない。誰か、わかりますか?
OJTが略語ならJDも略語かと連想させそうだし、逆にJDがグラフ上の
直線なら、OJTは原点OからJを通ってTに向かう線を連想させそうだけど、
もちろん、T点はグラフにはない(笑)。
紛らわしい記号を使わない配慮がなぜないんだろう。編集者も何をやってる
んだろうなと思いました。
これにおれは、五角形と書くべきところを台形と書いてしまうのと同じ杜撰
さを感じて、ああ、あれはやはり藪下史郎の文章だろうなと。
あと、長文のコメントかトラックバックかついてたけど、科学というなら、
大学の学部初年度でやってることは、理系に比べて遅れているという話で、も
ういいでしょ?
ということで、この話題は、これでおしまいにします。
英-Ranさんに約束した、ゲーム理論の話は、府中の図書館から借りて昔読ん
だ鈴木光男先生の本を、また借りてきています。それとその改訂版にあたるも
のを買ってきました。ざっと再読してみて、伝統的経済学から相当にいじめら
れたんだなと、改めて感じました。
東芝府中が、日本選手権決勝に勝って、ラグビーの3冠を達成したら気持ち
よく書くかもしれないけど、負けたら落ち込んでいつ書くかわかりません。\(^O^)/
買っても祝勝会やって飲んだくれて書けないかもしれないし。すみません。
でも、必ず書きますから、時間をください。
もう眠たいので、寝ます。
一銭にもならないのに、2日続けて、こんなにがんばってバカみたい。\(^O^)/
でも、とにかく一段落しないと、すっきりラグビー観戦できないものね。ラ
グビー観戦に備えられただけでもよかったです。
明日は、午前中に風呂に入って体を清めて観戦します。\(^O^)/
コメント
_ のの ― 2006年02月26日 14時58分47秒
_ のの ― 2006年02月26日 15時09分45秒
ところで、「理系」「理系」とたくさん書かれていますが、
中村さんは、そもそも「理系」に分類されてるんですか?
そしてそれは自明なんですか?
中村さんの文章は、部分的なことを書かれたあと、何の繋がりもなく一般論に拡大して過激な批判を書かれています。
僕には、中村さんは範囲を確定しながら訂正・修正をしていくという「理系」的な作業にあまり慣れてない方のように思えるんですが?
スンマセンw
中村さんは、そもそも「理系」に分類されてるんですか?
そしてそれは自明なんですか?
中村さんの文章は、部分的なことを書かれたあと、何の繋がりもなく一般論に拡大して過激な批判を書かれています。
僕には、中村さんは範囲を確定しながら訂正・修正をしていくという「理系」的な作業にあまり慣れてない方のように思えるんですが?
スンマセンw
_ フルサーワ ― 2006年02月26日 21時46分34秒
中村さん、ののさんこんにちは。ののさんも理系の方ですか?
ここには論文が書かれてるわけではないのですから、面白く読んでもらおうと(思ってないかもしれないけど)いろいろ感情も修飾も入るでしょう。このような場での読み物として普通の文章だと思います。だからこっちも普通に文章を読むときのように、構造を確認して修辞を除いて書かれていることの本質を見極めたり、行間を読むなどという作業や態度が必要なわけで。理系の人の文章は常に無駄のない論理的な構造になっているわけではないのではないかと。
これまで中村師匠は、この場で度々日本の理系の不遇を嘆き、がんばっている日本の理系の人々を応援し、似非科学を批判してこられました。ぼくは医学なんて理系の端の端のほうをやってる人間ですが、師匠のその姿勢に共感して読みに来ています。(ぼくは右寄りなんでいろいろ相容れない話題もありますが)
それから、個人的には科学と言ったら自然科学のことであり、特に狭義の自然科学とは、数学を言語というか道具として持つ物理学がその中心だと思うのですね。で、自然科学の理論は、たぶんアルファケンタウリあたりに持っていっても破綻しないと思うのです。
経済現象を自然科学の言語で記述できて、きちんと再現性もあるならば、それは科学理論と言ってもいいのかもしれないですね…経済学はぜんぜん知らないのでごめんなさい。
ここには論文が書かれてるわけではないのですから、面白く読んでもらおうと(思ってないかもしれないけど)いろいろ感情も修飾も入るでしょう。このような場での読み物として普通の文章だと思います。だからこっちも普通に文章を読むときのように、構造を確認して修辞を除いて書かれていることの本質を見極めたり、行間を読むなどという作業や態度が必要なわけで。理系の人の文章は常に無駄のない論理的な構造になっているわけではないのではないかと。
これまで中村師匠は、この場で度々日本の理系の不遇を嘆き、がんばっている日本の理系の人々を応援し、似非科学を批判してこられました。ぼくは医学なんて理系の端の端のほうをやってる人間ですが、師匠のその姿勢に共感して読みに来ています。(ぼくは右寄りなんでいろいろ相容れない話題もありますが)
それから、個人的には科学と言ったら自然科学のことであり、特に狭義の自然科学とは、数学を言語というか道具として持つ物理学がその中心だと思うのですね。で、自然科学の理論は、たぶんアルファケンタウリあたりに持っていっても破綻しないと思うのです。
経済現象を自然科学の言語で記述できて、きちんと再現性もあるならば、それは科学理論と言ってもいいのかもしれないですね…経済学はぜんぜん知らないのでごめんなさい。
_ 英-Ran ― 2006年02月26日 22時09分38秒
フルサーワ様、英-Ranと申すものです。
> この場で度々日本の理系の不遇を嘆き……似非科学を批判してこられました。
私は、その点には同意できますし、面白さを出すために誇張があるとしても特別問題視する必要はないのは同意します。問題は、経済学という学問に対して内容を吟味せず、枝葉のしかも妥当でない批判で持って貶めるような発言をしていることです。
私も学生時分からの中村氏のファンですが、物理については疑似科学を批判してきたにも関わらず、経済学についてはまるでご自身がトンデモになられたかのような発言をされており非常に残念に思っています。
経済現象も人間のように振舞うものたちが多数存在する状況では、どこでも成り立つとみなすことは可能ですし、経済学の教科書を読んでいただければ、その基盤は決して歴史・時代によって揺らぐようなものではないとご理解頂けるかと思います。
> この場で度々日本の理系の不遇を嘆き……似非科学を批判してこられました。
私は、その点には同意できますし、面白さを出すために誇張があるとしても特別問題視する必要はないのは同意します。問題は、経済学という学問に対して内容を吟味せず、枝葉のしかも妥当でない批判で持って貶めるような発言をしていることです。
私も学生時分からの中村氏のファンですが、物理については疑似科学を批判してきたにも関わらず、経済学についてはまるでご自身がトンデモになられたかのような発言をされており非常に残念に思っています。
経済現象も人間のように振舞うものたちが多数存在する状況では、どこでも成り立つとみなすことは可能ですし、経済学の教科書を読んでいただければ、その基盤は決して歴史・時代によって揺らぐようなものではないとご理解頂けるかと思います。
_ のの ― 2006年02月27日 00時26分32秒
フルサーワーさん
僕は物理出身です。仕事の関係もあって、経済学には興味ありますし
面白いと思ってます。また、たぶん中村氏よりは知ってると思います。
>いろいろ感情も修飾も入るでしょう。
この程度のブログまで、無駄のない論理にしろとか、感情を書くななんて一言も言ってませんよ。
せめて裏くらい取ろうぜ、取れないことを強気で言うのはみっともないぜ、ってことですよ。永田議員じゃないんだから。
経済学一般についての記述は、中村氏が経済学を知らないだけ、
ということに思います。
知らないことまで、分かったつもりで感情をむき出しにするのは、
まったくもって「理系」的じゃないよね?
>これまで中村師匠は、この場で度々日本の理系の不遇を嘆き、
>がんばっている日本の理系の人々を応援し、似非科学を批判してこられました。
もし誰かが、物理について、教科書の書き方に不満がある程度の
ことから(しかも誤読しちゃう程度で)、物理学批判し出したら
中村氏はどういう態度取るんですかね?
失礼ながら個人的な印象を書くと、
単に、中村氏は物理や科学については強面がいて怖いので温厚なことを書くが、
「経済学者?アイツら程度相手なら強きに言っても平気だろ」的な思惑を感じます。
仮に、スティグリッツや藪下氏が嫌いだとしても、
一部の経済学者と、経済学自体の区別できないとしたら、
それこそ似非科学だとおもいますけどね。
結局やってるのは、科学(物理?)というライオンの陰に隠れながら
何かに唾を吐きたいだけなんじゃないの?と思います。
それと、科学についての認識ですが、
>それから、個人的には科学と言ったら自然科学のことであり、・・・数学を言語というか道具として持つ物理学がその中心・・・アルファケンタウリあたりに持っていっても破綻しないと思うのです。
>・・・自然科学の言語で記述できて、きちんと再現性もあるならば、それは科学理論と言ってもいいのかもしれないですね…経済学はぜんぜん知らないのでごめんなさい。
数学的な構造を持つことと、再現性があることとは全然一致しませんけどね。
すくなくとも医学をやってるのなら、そのくらい理解して欲しいと思いますが。
そんなに狭い定義なのなら、経済学がどういう努力をしてきたか、たぶん理解できないのではないでしょうかね。経済学の問題じゃなくて、狭い定義を振りかざして何か異様な批判をする方の問題ですよ。
僕は物理出身です。仕事の関係もあって、経済学には興味ありますし
面白いと思ってます。また、たぶん中村氏よりは知ってると思います。
>いろいろ感情も修飾も入るでしょう。
この程度のブログまで、無駄のない論理にしろとか、感情を書くななんて一言も言ってませんよ。
せめて裏くらい取ろうぜ、取れないことを強気で言うのはみっともないぜ、ってことですよ。永田議員じゃないんだから。
経済学一般についての記述は、中村氏が経済学を知らないだけ、
ということに思います。
知らないことまで、分かったつもりで感情をむき出しにするのは、
まったくもって「理系」的じゃないよね?
>これまで中村師匠は、この場で度々日本の理系の不遇を嘆き、
>がんばっている日本の理系の人々を応援し、似非科学を批判してこられました。
もし誰かが、物理について、教科書の書き方に不満がある程度の
ことから(しかも誤読しちゃう程度で)、物理学批判し出したら
中村氏はどういう態度取るんですかね?
失礼ながら個人的な印象を書くと、
単に、中村氏は物理や科学については強面がいて怖いので温厚なことを書くが、
「経済学者?アイツら程度相手なら強きに言っても平気だろ」的な思惑を感じます。
仮に、スティグリッツや藪下氏が嫌いだとしても、
一部の経済学者と、経済学自体の区別できないとしたら、
それこそ似非科学だとおもいますけどね。
結局やってるのは、科学(物理?)というライオンの陰に隠れながら
何かに唾を吐きたいだけなんじゃないの?と思います。
それと、科学についての認識ですが、
>それから、個人的には科学と言ったら自然科学のことであり、・・・数学を言語というか道具として持つ物理学がその中心・・・アルファケンタウリあたりに持っていっても破綻しないと思うのです。
>・・・自然科学の言語で記述できて、きちんと再現性もあるならば、それは科学理論と言ってもいいのかもしれないですね…経済学はぜんぜん知らないのでごめんなさい。
数学的な構造を持つことと、再現性があることとは全然一致しませんけどね。
すくなくとも医学をやってるのなら、そのくらい理解して欲しいと思いますが。
そんなに狭い定義なのなら、経済学がどういう努力をしてきたか、たぶん理解できないのではないでしょうかね。経済学の問題じゃなくて、狭い定義を振りかざして何か異様な批判をする方の問題ですよ。
_ Joodee ― 2006年02月27日 03時33分33秒
すみません、ただの野次馬の門外漢で、しかも中村さんが嫌いな文系の人間です。
あっちこっち一生懸命読ませてもらったのですが・・
どーしても納得できない馬鹿な私に、どなたかご教授ください。
「率」と「額」は誤植ではく、率で正解ということなのでしょうかね、結局。
『経済の世界ではこれが常識だぜ』ってな発言はいくつかありまして、
それで納得している方もいらっしゃるようなのですけど、
誰の引用を辿っていっても(従量税率だろうと従価税率だろうと)結局「率である」
という説明しか見つけられません。
日本語のごく基本的なルールから考えても「比率の性格を持った数字」であるべき
ではないのか・・という思いが拭い切れません。
『一単位あたりの』という前提でなら、数式の中で額も率も何となく同じに使える
でしょうが、「額の事なのだ」というならなぜわざわざ「〜率」と言うのでしょう?
私の理解力がきわめて劣っているのなら、先に謝っておきます。ごめんなさい。
でもこんな私でも頑張れば理解できそうな解説がありましたら、どうか教えて下さい。
お願いします。
あっちこっち一生懸命読ませてもらったのですが・・
どーしても納得できない馬鹿な私に、どなたかご教授ください。
「率」と「額」は誤植ではく、率で正解ということなのでしょうかね、結局。
『経済の世界ではこれが常識だぜ』ってな発言はいくつかありまして、
それで納得している方もいらっしゃるようなのですけど、
誰の引用を辿っていっても(従量税率だろうと従価税率だろうと)結局「率である」
という説明しか見つけられません。
日本語のごく基本的なルールから考えても「比率の性格を持った数字」であるべき
ではないのか・・という思いが拭い切れません。
『一単位あたりの』という前提でなら、数式の中で額も率も何となく同じに使える
でしょうが、「額の事なのだ」というならなぜわざわざ「〜率」と言うのでしょう?
私の理解力がきわめて劣っているのなら、先に謝っておきます。ごめんなさい。
でもこんな私でも頑張れば理解できそうな解説がありましたら、どうか教えて下さい。
お願いします。
_ 英-Ran ― 2006年02月27日 22時53分36秒
> Joodeeさん
えー、一番説得力のない人間が回答するのも何ですが、bewaadさんところのコメント欄で銅鑼衣紋さんが説明している通り、これは定義の問題なので文句を言っても始まりません。しかも、税務署などでも使われているようなので、一般人が使わないだけでその言葉を利用する人にとっては広く普及している用法のようです。
バールのようなものがバールでないのと似たようなもの……って例えになってないな(^_^;
えー、一番説得力のない人間が回答するのも何ですが、bewaadさんところのコメント欄で銅鑼衣紋さんが説明している通り、これは定義の問題なので文句を言っても始まりません。しかも、税務署などでも使われているようなので、一般人が使わないだけでその言葉を利用する人にとっては広く普及している用法のようです。
バールのようなものがバールでないのと似たようなもの……って例えになってないな(^_^;
_ ぬぬ ― 2006年02月28日 13時05分13秒
> 「ファインマンの書いた教科書に3年間修正されない単位間違いがあ
> るならば、米国の物理学コミュニティは馬鹿の集まり」などという
> 命題を本気で信じているのであれば、これ以上特に言うことはあり
> ません。
中村さんは本気で信じているそうなので、とりあえず英-Ranちゃんはだまってくれ。
> るならば、米国の物理学コミュニティは馬鹿の集まり」などという
> 命題を本気で信じているのであれば、これ以上特に言うことはあり
> ません。
中村さんは本気で信じているそうなので、とりあえず英-Ranちゃんはだまってくれ。
_ 英-Ran ― 2006年02月28日 22時38分42秒
>中村さんは本気で信じているそうなので、とりあえず英-Ranちゃんはだまってくれ。
ちゃ、ちゃんずけされたのは初めてだ(w
引用の論点について私あの後中村氏に何か言いましたっけ?
ちゃ、ちゃんずけされたのは初めてだ(w
引用の論点について私あの後中村氏に何か言いましたっけ?
_ 英-Ran ― 2006年02月28日 22時38分55秒
>中村さんは本気で信じているそうなので、とりあえず英-Ranちゃんはだまってくれ。
ちゃ、ちゃんずけされたのは初めてだ(w
引用の論点について私あの後中村氏に何か言いましたっけ?
ちゃ、ちゃんずけされたのは初めてだ(w
引用の論点について私あの後中村氏に何か言いましたっけ?
_ 英-Ran ― 2006年03月01日 00時44分46秒
↑二重投稿になってしまいました。スンません。
_ sato ― 2006年03月01日 00時52分38秒
実に見苦しいですね。
反論できなくなったら論点ずらしですか。
よくそんなんで科学がどうのって言えますね。
反論できなくなったら論点ずらしですか。
よくそんなんで科学がどうのって言えますね。
_ うーん ― 2006年03月01日 13時44分11秒
だってコレ、高々プログラマ程度に過ぎない人が、
科学コンプレックスをぶちまけてるだけでしょ?
まあ、ブログだから特に真摯に書く必要もないし
口汚くしてもかまわないという認識なんでしょうけど
読む人は、その人の「人となり」を見ちゃいますよね。
まあ
>ということで、この話題は、これでおしまいにします。
てな感じで、強気気取りの「誤魔化しお願い」されてるようだから
誤魔化されたことでいいんじゃないですかね。
科学コンプレックスをぶちまけてるだけでしょ?
まあ、ブログだから特に真摯に書く必要もないし
口汚くしてもかまわないという認識なんでしょうけど
読む人は、その人の「人となり」を見ちゃいますよね。
まあ
>ということで、この話題は、これでおしまいにします。
てな感じで、強気気取りの「誤魔化しお願い」されてるようだから
誤魔化されたことでいいんじゃないですかね。
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_ Espresso Diary@信州松本 - 2006年04月19日 23時12分52秒
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不満を誹謗中傷にするのはどうかと。
ところで、下のエントリで
> でも、ゲーム理論や金融工学は、伝統的な経済学から、
>特に日本では異端扱 いされてきたでしょ?
>それでどうして科学なの?と思うんですけど、どうで すか?
> そうやって異端、冷遇扱いしてたのに、ノーベル経済学賞がその分野で出ると、掌を返したりしてません?
と書いてますが、<異端><冷遇>なんて事実ないですよ。
だって、ゲーム理論にしても、金融工学にしても、
受賞対象になったそれらの主要な業績は、どれもみんな
もっとも主要な、権威のある“経済学”の雑誌に掲載されてるんですから。
そして受賞者の誰もが、権威のある一流の大学の経済学部に所属し
学界でも権威を持っていたんだから。
どうして<異端><冷遇>なんでしょうか?
事実を理解せずに、誤解による印象に過ぎないと思いますよ。
「理系w」的に、業績などを調べれば分かります。
なんだか、一部の新書などで、確執があったかのように
過剰に誇張して書いてあるのを信じてるのかな?
ああいうのは、往々にして個人的出来事のすり替えです。
まあ、学界とかで、個人的な確執や一部の人達の学界政治は
あったかもしれませんけどね。
(そんなものは物理でも化学でも数学でも、ゴロゴロしてますけどね。)