武蔵野タンポポ団その2 ― 2009年05月31日 10時09分51秒
ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
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http://iiyu.asablo.jp/blog/2009/05/29/4328380
武蔵野タンポポ団
の続き。
===
標題: Re: 武蔵野タンポポ団
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そうですねなぎらさんはメンバーには含まれないようです
昨日は職場(内緒)で衝動的にほとんど裏も取らずに書き込んでしまったため、
別のライブでの印象とごっちゃになってしまいました。(あ、今も世間的には勤
務中ですね... ま、今日は在宅なのでよしとしましょう (^^; )
で、拙宅の本棚から引っ張り出したなぎら健壱著「日本フォーク私的大全」(ち
くま文庫)の「武蔵野たんぽぽ団」から引きます(ひらがなの「たんぽぽ」が正
しいそうです)
===引用ここから===
『武蔵野タンポポ団』の名前の由来は、貧困時にシバがたんぽぽを食べていたか
らという話があるが、これは伝説であって事実ではない。シバが漫画として少年
探偵団のようなものを描きたいと考えていた。その名前なのである。たんぽぽの
ような路地で見かける花でも、小さな花弁がくっ着き合って形成されているじゃ
ないか、というのもその理由であったらしい。
===引用ここまで===
71年の中津川フォークジャンボリーでデビューした時のメンバーは
高田渡(合掌 いせやが新しくなっても渡さんがいないんじゃねぇ... )
シバ(久しぶりにブルーズを聞きたいです)
友部正人(歌に対する考え方が変わりました)
若林純夫(またあのカレーが食べたいな)
山本コータロー(ま、その、ですね)
中川イサト(日本一のギタリストだと信仰しております)
品川寿男
岩井宏(この人の歌が転轍機になって今があると思います)
マスミ
とそうそうたる面々で、URCやベルウッドという今はないレーベルの人々です。
その後多少の異動はありますが、吉祥寺で飲んだくれていたミュージシャン仲間
のバンドなのは間違いありませんし、そのような伝説をおそらく彼らの誰かがね
つ造してもおかしくないくらいあまり売れていない人々がやっていたバンドです。
なぎらさんは木挽町で生まれ育ったかたで、地元で商売をしていた家に生まれ
育ったネイティブ東京人(絶滅危惧種)の雰囲気がよく現れた人だと思います。
(東京でも海抜の低いエリアに居住していた人々、あえて下町とは言いません)
極貧ではなかったと思いますが、富豪でもない、今やお目にかかることの少ない
「中産階級」のお生まれだったように思います。
ミュージシャンなら同じ系統にアルフィーの坂崎幸之助、鈴木慶一・博文兄弟、
演劇なら伊東四朗・三宅裕司、作家なら小林信彦。このあたりの人々かな。
(細野さんは白金の富豪家ご出身なので外します)
と脱線しましたが、昨日の書き込み訂正させていただきます。
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標題: Re: 武蔵野タンポポ団(Re: からだにおいしい 野菜の便利帳、調理以前の料理の
常識、
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> 71年の中津川フォークジャンボリーでデビューした時のメンバーは
>
> 高田渡(合掌 いせやが新しくなっても渡さんがいないんじゃねぇ... )
> シバ(久しぶりにブルーズを聞きたいです)
> 友部正人(歌に対する考え方が変わりました)
> 若林純夫(またあのカレーが食べたいな)
> 山本コータロー(ま、その、ですね)
> 中川イサト(日本一のギタリストだと信仰しております)
> 品川寿男
> 岩井宏(この人の歌が転轍機になって今があると思います)
> マスミ
このうち中川イサトさんは五つの赤い風船というフォークグループのオリジナ
ルメンバーで、実はソーバッド・レビューの有山淳司も中学生位の頃、五つの赤
い風船に短期間参加していたという話です。つまり、一時期五つの赤い風船には
中川イサトと有山淳司という稀有のギタリスト二人を有するチームだったのです
ね。元五つの赤い風船の東祥高は現代音楽の音楽家となり、五つの赤い風船当時
の活動を批判していますが・・・。
岩井宏さんはバンジョーの弾き語りという人で、品川寿男さんはタンポポ団が
活動を停止してからはファッション関係の人になったそうな。
--
たま@無精庵
===
標題: 吉祥寺から歩いていける土手
---
高井戸でしょうか。土手の上には井の頭線が走っています。
吉祥寺から来ると土手を徐行して高いどのホームに停車し
ますのですが、緑の古い電車が大きくゆれて今にも神田川
に吸い込まれそうに思えた幼き日も遠きになりけり。
母がマネキンの会社で仕事していたので「バラの花の包み
の・・・」とか「藝術は爆発だ」とか・・・今でこそ超有
名な画家と同僚だったのですけど、「バラの花の包み」な
人は動物嫌いだったようで、「動物のモデル」は、母曰く
神田川の土手付近を歩いていたどこぞの生き物を×××し
て先生のところに差し出したとか口が裂けてもいえないイ
ンサイダーなエピソードがあったり。
--- FROM Musasino city, Tokyo metropolis, in Japan.
Name; Masaya Ootsuki.
WWW; http://www.ne.jp/asahi/pursuits/ootsuki/
---
http://iiyu.asablo.jp/blog/2009/05/29/4328380
武蔵野タンポポ団
の続き。
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標題: Re: 武蔵野タンポポ団
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そうですねなぎらさんはメンバーには含まれないようです
昨日は職場(内緒)で衝動的にほとんど裏も取らずに書き込んでしまったため、
別のライブでの印象とごっちゃになってしまいました。(あ、今も世間的には勤
務中ですね... ま、今日は在宅なのでよしとしましょう (^^; )
で、拙宅の本棚から引っ張り出したなぎら健壱著「日本フォーク私的大全」(ち
くま文庫)の「武蔵野たんぽぽ団」から引きます(ひらがなの「たんぽぽ」が正
しいそうです)
===引用ここから===
『武蔵野タンポポ団』の名前の由来は、貧困時にシバがたんぽぽを食べていたか
らという話があるが、これは伝説であって事実ではない。シバが漫画として少年
探偵団のようなものを描きたいと考えていた。その名前なのである。たんぽぽの
ような路地で見かける花でも、小さな花弁がくっ着き合って形成されているじゃ
ないか、というのもその理由であったらしい。
===引用ここまで===
71年の中津川フォークジャンボリーでデビューした時のメンバーは
高田渡(合掌 いせやが新しくなっても渡さんがいないんじゃねぇ... )
シバ(久しぶりにブルーズを聞きたいです)
友部正人(歌に対する考え方が変わりました)
若林純夫(またあのカレーが食べたいな)
山本コータロー(ま、その、ですね)
中川イサト(日本一のギタリストだと信仰しております)
品川寿男
岩井宏(この人の歌が転轍機になって今があると思います)
マスミ
とそうそうたる面々で、URCやベルウッドという今はないレーベルの人々です。
その後多少の異動はありますが、吉祥寺で飲んだくれていたミュージシャン仲間
のバンドなのは間違いありませんし、そのような伝説をおそらく彼らの誰かがね
つ造してもおかしくないくらいあまり売れていない人々がやっていたバンドです。
なぎらさんは木挽町で生まれ育ったかたで、地元で商売をしていた家に生まれ
育ったネイティブ東京人(絶滅危惧種)の雰囲気がよく現れた人だと思います。
(東京でも海抜の低いエリアに居住していた人々、あえて下町とは言いません)
極貧ではなかったと思いますが、富豪でもない、今やお目にかかることの少ない
「中産階級」のお生まれだったように思います。
ミュージシャンなら同じ系統にアルフィーの坂崎幸之助、鈴木慶一・博文兄弟、
演劇なら伊東四朗・三宅裕司、作家なら小林信彦。このあたりの人々かな。
(細野さんは白金の富豪家ご出身なので外します)
と脱線しましたが、昨日の書き込み訂正させていただきます。
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標題: Re: 武蔵野タンポポ団(Re: からだにおいしい 野菜の便利帳、調理以前の料理の
常識、
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> 71年の中津川フォークジャンボリーでデビューした時のメンバーは
>
> 高田渡(合掌 いせやが新しくなっても渡さんがいないんじゃねぇ... )
> シバ(久しぶりにブルーズを聞きたいです)
> 友部正人(歌に対する考え方が変わりました)
> 若林純夫(またあのカレーが食べたいな)
> 山本コータロー(ま、その、ですね)
> 中川イサト(日本一のギタリストだと信仰しております)
> 品川寿男
> 岩井宏(この人の歌が転轍機になって今があると思います)
> マスミ
このうち中川イサトさんは五つの赤い風船というフォークグループのオリジナ
ルメンバーで、実はソーバッド・レビューの有山淳司も中学生位の頃、五つの赤
い風船に短期間参加していたという話です。つまり、一時期五つの赤い風船には
中川イサトと有山淳司という稀有のギタリスト二人を有するチームだったのです
ね。元五つの赤い風船の東祥高は現代音楽の音楽家となり、五つの赤い風船当時
の活動を批判していますが・・・。
岩井宏さんはバンジョーの弾き語りという人で、品川寿男さんはタンポポ団が
活動を停止してからはファッション関係の人になったそうな。
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たま@無精庵
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標題: 吉祥寺から歩いていける土手
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高井戸でしょうか。土手の上には井の頭線が走っています。
吉祥寺から来ると土手を徐行して高いどのホームに停車し
ますのですが、緑の古い電車が大きくゆれて今にも神田川
に吸い込まれそうに思えた幼き日も遠きになりけり。
母がマネキンの会社で仕事していたので「バラの花の包み
の・・・」とか「藝術は爆発だ」とか・・・今でこそ超有
名な画家と同僚だったのですけど、「バラの花の包み」な
人は動物嫌いだったようで、「動物のモデル」は、母曰く
神田川の土手付近を歩いていたどこぞの生き物を×××し
て先生のところに差し出したとか口が裂けてもいえないイ
ンサイダーなエピソードがあったり。
--- FROM Musasino city, Tokyo metropolis, in Japan.
Name; Masaya Ootsuki.
WWW; http://www.ne.jp/asahi/pursuits/ootsuki/
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