弾さんへのコメント ― 2005年04月12日 00時09分00秒
ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
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標題: 弾さんへのコメント
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弾さんのブログ、
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/18522951.html
へのコメント。
本文の行数が多すぎるといって、書けないので。
デーブは昔最初に登場したころは、ユダヤギャグなんかもいってたわけ。で
も、日本じゃ、全然ウケない。だから日本の風土とテレビのレベルに合わせて
ダジャレしかいわなくなったのね。彼も内心忸怩たるものがあると思うけど、
ああいうダジャレだけいえないデーブなら、中身はないし、公共の電波に存在
する価値なしというのが、おれの評価。
彼は、日本人にいくらウケなくても、日本人がわからない笑いを言い続けて、
日本の笑いの幅を押し広げることによってのみ、存在価値があるだろうと思っ
てるのね。
爆笑問題については、弾さん、何もわかってないね。
偉そうにいわせてもらえれば、日本原論レベルは、電脳騒乱節なり、おれで
も暇なときに書いてきたようなレベルなんですよ。それで笑いのプロなのかっ
てこと。爆笑問題が何か笑いを革新しましたか。独自の世界を打ち立てました
か。
漫才は落語と違って襲名がないから、落語以上に独自の世界を築かないと名
を残せないのよ。こぶ平が正蔵を襲名したことについて賛否両論あるだろうけ
ど、なんだかんだいって正蔵を襲名したわけだよね。いまの爆笑問題レベルじ
ゃ、名を残せないよってこと。
別に名を残す必要もないといえばないんだけど、期待してないなら、こんな
こともいわないし、太田が談志の名前を出さないならこんなこともいわないだ
ろうしね。
===
標題: 弾さんへのコメント、補足
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「日本原論」をはじめ爆笑問題の書籍は、形式上、太田と田中のやりとりで
やってるから、漫才やったのを採録していると思っている人も多いかもしれな
いけど、あれは全編書いてますね。少なくともおれはそう思う。太田光が自分
で書いているか、あるいは放送作家や台本を書いている人が書いているかは知
らないけど、やっぱ書いているなと思うんですね。感覚的に。
で、書いた作品としてみたら、売れたにせよ、笑いのレベルとしては、爆笑
問題の作品は大したレベルじゃないんです。偉そうにいえば、おれの電脳騒乱
節や電脳曼荼羅レベル。やってることは手に取るようにわかるから、なんでそ
んなレベルにいるの、爆笑問題と思うんだよね。
笑いの文学作品って、すごくむずかしいんです。特に日本だと、小説なら筒
井康隆さんという巨人もいるし、かんべむさしさんもいるし、清水義範さんも
いるし、手練れはいろいろいますよね。
それから、文芸の世界で、時事ネタで笑いを作るという面では、日本にはす
ごい強敵がいるんです。何かといえば、川柳なんです。これは俳句と同じく、
フォーマットの強さがすごいんです。だから笑いの瞬発力、鮮やかさ、爆発力
がすごいんです。伝統の力って、大したもんなんですよ。
だから、日本原論とか、爆笑問題の書き物は、面白いは面白けど、すこし時
間のスパンを長く取ると、文芸としては、ちょっと出来のいい川柳、たとえば
サラリーマン川柳にもかなわないというのがおれの評価。
ダ・カーポに浅草キッドが「バカーポ『懲りない人々』」という時事ネタで
やる連載をやってます。掛け合い形式ですけど、あれも書いてますよね。おそ
らく水道橋博士が。
水道橋博士は、根は真面目だなと思うんです。心境がよくわかるの。なぜな
ら、おれも真面目だから。\(^O^)/
あれ、真面目ゆえに説明しすぎなんです。おれも自分の経験があるから、す
ごくよくわかるのね。もう途中で読み筋がどうなってるのかわからないように
しようと思うんだけど、やっぱ、道をつけておこうとしちゃうんですよね。読
者が置いてきぼりにならないように。
でも、読解力のある読者、読むという訓練をしてきた読者には、臭い芸、く
どい芸になっちゃうんですよね。といって、読者をどんどん置いてけぼりにす
ると、非常に先鋭的な笑いにはなっても、わかる奴が世界に12人という、ア
イシュタインの相対性理論みたいな世界になっちゃうよね。重力方程式や複素
ヒルベルト空間がわかってないと笑えない笑いとかね。\(^O^)/
だから、ネタを出すところを状況によって使い分けているのはさすがプロと
いう弾さんの評価は、おれがいったことに対しては全く的外れ。爆笑問題が能
力全開にしても日本原論レベルなら、そして笑いで名を残したいなら、司会な
んかやってる暇なんかないよ、もっと修行しないとだめだよってことですよ。
書き物の世界、文学、文芸の世界じゃ、よほどの人じゃないと名が残らない
わけ。
漫才は話芸、話術の芸でしょ。書いたネタを声、表情、動作で血肉ができる
ところが書き物よりはるかに有利なところなんだから、漫才師ならそこをもっ
とやったほうがいいんじゃないのって、思うわけです。
ポイントは、肉体性をどう活かすかってことですから、別に漫才のフォーマ
ットにこだわる必要はないんだけどね。
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標題: 弾さんへのコメント
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弾さんのブログ、
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/18522951.html
へのコメント。
本文の行数が多すぎるといって、書けないので。
デーブは昔最初に登場したころは、ユダヤギャグなんかもいってたわけ。で
も、日本じゃ、全然ウケない。だから日本の風土とテレビのレベルに合わせて
ダジャレしかいわなくなったのね。彼も内心忸怩たるものがあると思うけど、
ああいうダジャレだけいえないデーブなら、中身はないし、公共の電波に存在
する価値なしというのが、おれの評価。
彼は、日本人にいくらウケなくても、日本人がわからない笑いを言い続けて、
日本の笑いの幅を押し広げることによってのみ、存在価値があるだろうと思っ
てるのね。
爆笑問題については、弾さん、何もわかってないね。
偉そうにいわせてもらえれば、日本原論レベルは、電脳騒乱節なり、おれで
も暇なときに書いてきたようなレベルなんですよ。それで笑いのプロなのかっ
てこと。爆笑問題が何か笑いを革新しましたか。独自の世界を打ち立てました
か。
漫才は落語と違って襲名がないから、落語以上に独自の世界を築かないと名
を残せないのよ。こぶ平が正蔵を襲名したことについて賛否両論あるだろうけ
ど、なんだかんだいって正蔵を襲名したわけだよね。いまの爆笑問題レベルじ
ゃ、名を残せないよってこと。
別に名を残す必要もないといえばないんだけど、期待してないなら、こんな
こともいわないし、太田が談志の名前を出さないならこんなこともいわないだ
ろうしね。
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標題: 弾さんへのコメント、補足
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「日本原論」をはじめ爆笑問題の書籍は、形式上、太田と田中のやりとりで
やってるから、漫才やったのを採録していると思っている人も多いかもしれな
いけど、あれは全編書いてますね。少なくともおれはそう思う。太田光が自分
で書いているか、あるいは放送作家や台本を書いている人が書いているかは知
らないけど、やっぱ書いているなと思うんですね。感覚的に。
で、書いた作品としてみたら、売れたにせよ、笑いのレベルとしては、爆笑
問題の作品は大したレベルじゃないんです。偉そうにいえば、おれの電脳騒乱
節や電脳曼荼羅レベル。やってることは手に取るようにわかるから、なんでそ
んなレベルにいるの、爆笑問題と思うんだよね。
笑いの文学作品って、すごくむずかしいんです。特に日本だと、小説なら筒
井康隆さんという巨人もいるし、かんべむさしさんもいるし、清水義範さんも
いるし、手練れはいろいろいますよね。
それから、文芸の世界で、時事ネタで笑いを作るという面では、日本にはす
ごい強敵がいるんです。何かといえば、川柳なんです。これは俳句と同じく、
フォーマットの強さがすごいんです。だから笑いの瞬発力、鮮やかさ、爆発力
がすごいんです。伝統の力って、大したもんなんですよ。
だから、日本原論とか、爆笑問題の書き物は、面白いは面白けど、すこし時
間のスパンを長く取ると、文芸としては、ちょっと出来のいい川柳、たとえば
サラリーマン川柳にもかなわないというのがおれの評価。
ダ・カーポに浅草キッドが「バカーポ『懲りない人々』」という時事ネタで
やる連載をやってます。掛け合い形式ですけど、あれも書いてますよね。おそ
らく水道橋博士が。
水道橋博士は、根は真面目だなと思うんです。心境がよくわかるの。なぜな
ら、おれも真面目だから。\(^O^)/
あれ、真面目ゆえに説明しすぎなんです。おれも自分の経験があるから、す
ごくよくわかるのね。もう途中で読み筋がどうなってるのかわからないように
しようと思うんだけど、やっぱ、道をつけておこうとしちゃうんですよね。読
者が置いてきぼりにならないように。
でも、読解力のある読者、読むという訓練をしてきた読者には、臭い芸、く
どい芸になっちゃうんですよね。といって、読者をどんどん置いてけぼりにす
ると、非常に先鋭的な笑いにはなっても、わかる奴が世界に12人という、ア
イシュタインの相対性理論みたいな世界になっちゃうよね。重力方程式や複素
ヒルベルト空間がわかってないと笑えない笑いとかね。\(^O^)/
だから、ネタを出すところを状況によって使い分けているのはさすがプロと
いう弾さんの評価は、おれがいったことに対しては全く的外れ。爆笑問題が能
力全開にしても日本原論レベルなら、そして笑いで名を残したいなら、司会な
んかやってる暇なんかないよ、もっと修行しないとだめだよってことですよ。
書き物の世界、文学、文芸の世界じゃ、よほどの人じゃないと名が残らない
わけ。
漫才は話芸、話術の芸でしょ。書いたネタを声、表情、動作で血肉ができる
ところが書き物よりはるかに有利なところなんだから、漫才師ならそこをもっ
とやったほうがいいんじゃないのって、思うわけです。
ポイントは、肉体性をどう活かすかってことですから、別に漫才のフォーマ
ットにこだわる必要はないんだけどね。
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_ 404 Blog Not Found - 2005年04月12日 14時36分20秒
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/18721569.html
もし私が辞書を書くとしたら、「人間」の定義には
笑う動物 - An animal that laughs
と書くと思います。
そして、辞書でなく百科事典だとしたら、それがどれほど艱難辛苦に満ちたものかも実例付きで。
失踪日記
とりあえず、実例の一つをここに示した上.
もし私が辞書を書くとしたら、「人間」の定義には
笑う動物 - An animal that laughs
と書くと思います。
そして、辞書でなく百科事典だとしたら、それがどれほど艱難辛苦に満ちたものかも実例付きで。
失踪日記
とりあえず、実例の一つをここに示した上.
_ ホットコーナーの舞台裏 - 2010年08月18日 07時14分18秒
ASAHIネット(http://asahi-net.jp )のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
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http://sankei.jp.msn.com/culture/books/100815/bks1008150932003-n1.htm
【書評】『現代語
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http://sankei.jp.msn.com/culture/books/100815/bks1008150932003-n1.htm
【書評】『現代語
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