Re: 夏への扉 [新訳版]、アルジャーノンに花束を ― 2009年08月11日 09時32分04秒
ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
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http://iiyu.asablo.jp/blog/2009/08/10/4503379
夏への扉 [新訳版]、アルジャーノンに花束を
の続き。
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標題: Re: 夏への扉 [新訳版]、アルジャーノンに花束を
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> 上記、
> http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4151101012/showshotcorne-22/
> アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫) (新書)
> の素人評で、Todという人が、「感動作ならぬ差別小説」と書いているが、障
> 碍児の親としていわせてもらうと、これは間違い、完全な誤読。しかも誤読の
> 中でも、おもしろい誤読ではなく、つまらない誤読。文学的読解力なし。
> 哀れんでいた連中の人間的醜さ、立場が逆転することで生じる苦悩(自分が
> 哀れんでいた連中と同じ醜い人間になってしまう)も描き、読者に覚醒をうな
> がすところが、傑作の傑作たる所以。それを差別小説としか読めないのは、文
> 学的読解力がなく、勝間和代よろしくデータ処理的、表面的な読み方しかでき
> ない証拠。
元来小説は「差別的要素」を内包しているものです。それは人間が残念な事に
差別的存在である、という事であり、そこが前提となって読む行為が行われなけ
ればならぬという事を失念しているわけでしょう。
テキストだけを読んでコンテキストを理解しない、あるいはテキストからコン
テキストを読み出す事ができないと、筒井さんの断筆騒ぎの切っ掛けとなった癲
癇協会からの苦情と同じレベルになります。
そもそも文学的営為とは、作家自身のある面を物語に仮託して紡ぎ出す芸術
で、それが理解できないと物語そのものの本質も理解できない。
ちょいとこの「素人評」には驚きました。誤読以前の「小説が読めていない」
という状況に立ち至っている人がいる。文学的読解力だけではなく、日常会話の
レベルでも、こうした表面的理解しかできない人と話すのは苦痛だろうと感じる
次第です。
確かにユースケ・サンタマリアが主演したちょいとヒドイ出来のテレビドラマ
の影響もあるのかも知れませんが。
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たま@無精庵
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標題: Re: 夏への扉 [新訳版]、アルジャーノンに花束を
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笑いも元来差別的なものです。
その辺を知らない人、気づかない人が多いようですけどね。
もっというと、人間の本当の知的作業は、どれも差別的なものを含むんじゃ
ないか。
中村(show)
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http://iiyu.asablo.jp/blog/2009/08/10/4503379
夏への扉 [新訳版]、アルジャーノンに花束を
の続き。
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標題: Re: 夏への扉 [新訳版]、アルジャーノンに花束を
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> 上記、
> http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4151101012/showshotcorne-22/
> アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫) (新書)
> の素人評で、Todという人が、「感動作ならぬ差別小説」と書いているが、障
> 碍児の親としていわせてもらうと、これは間違い、完全な誤読。しかも誤読の
> 中でも、おもしろい誤読ではなく、つまらない誤読。文学的読解力なし。
> 哀れんでいた連中の人間的醜さ、立場が逆転することで生じる苦悩(自分が
> 哀れんでいた連中と同じ醜い人間になってしまう)も描き、読者に覚醒をうな
> がすところが、傑作の傑作たる所以。それを差別小説としか読めないのは、文
> 学的読解力がなく、勝間和代よろしくデータ処理的、表面的な読み方しかでき
> ない証拠。
元来小説は「差別的要素」を内包しているものです。それは人間が残念な事に
差別的存在である、という事であり、そこが前提となって読む行為が行われなけ
ればならぬという事を失念しているわけでしょう。
テキストだけを読んでコンテキストを理解しない、あるいはテキストからコン
テキストを読み出す事ができないと、筒井さんの断筆騒ぎの切っ掛けとなった癲
癇協会からの苦情と同じレベルになります。
そもそも文学的営為とは、作家自身のある面を物語に仮託して紡ぎ出す芸術
で、それが理解できないと物語そのものの本質も理解できない。
ちょいとこの「素人評」には驚きました。誤読以前の「小説が読めていない」
という状況に立ち至っている人がいる。文学的読解力だけではなく、日常会話の
レベルでも、こうした表面的理解しかできない人と話すのは苦痛だろうと感じる
次第です。
確かにユースケ・サンタマリアが主演したちょいとヒドイ出来のテレビドラマ
の影響もあるのかも知れませんが。
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たま@無精庵
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標題: Re: 夏への扉 [新訳版]、アルジャーノンに花束を
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笑いも元来差別的なものです。
その辺を知らない人、気づかない人が多いようですけどね。
もっというと、人間の本当の知的作業は、どれも差別的なものを含むんじゃ
ないか。
中村(show)
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