ビートたけし、「被災地に笑いを」なんて戯れ言だ【長文抜粋】 ― 2011年03月23日 09時52分22秒
ASAHIネット(http://asahi-net.jp )のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
---
ベさんが、Twitterで流していた。
http://twitter.com/#!/SnakeHole/statuses/50325977766707200
--- ここから ---
さすがにビートたけしはスルどいなぁ。”人の命は、2万分の1でも8万分の1で
もない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってこ
となんだよ” http://ow.ly/4k9QD
--- ここまで ---
http://naokitree.blog33.fc2.com/?mode=m&no=129
ビートたけし、「被災地に笑いを」なんて戯れ言だ【長文抜粋】
週刊ポスト「21世紀毒談特別編」より抜粋します。
2011/03/21 14:16
--- ここから ---
常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」
じゃないかって思う。
--- ここまで ---
こういう想像力を養ってくれるのが文学。別の人生を擬似的に体験できるし、
どう判断すればいいか、どう行動すればいいかも教えてくれるし、感情移入す
る力も養ってくれる。
カモリーマン向けの新書やビジネス書をいくら読んでもダメ。
ずっと言い続けていることだが、勝間和代的なデータ処理的読解力は、人間
の力にならない。少々身に付けても、もはやコンピュータにかなわない。人間
が勝てるのは、まだ勝てるのは、文学的読解力。
--- ここから ---
今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。
テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけ
ど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをま
ったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、
そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1
人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
--- ここまで ---
--- ここから ---
一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一
人死ぬことの方がずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分
の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってし
まうのが人間なんだよ。
そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、
それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も
耐えてるんだから。
--- ここまで ---
--- ここから ---
逆にいえば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかと
いう証拠だよ。海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、
国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしない
し、悲しまなかった。「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心から
その重さがわかるんだよ。
--- ここまで ---
--- ここから ---
それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。も
う、それしかない。
--- ここまで ---
「じたばたしたっちゃ、にわとりゃ、はだし」ですね。
関連:
http://iiyu.asablo.jp/blog/2007/07/16/1658941
高校生のための文章読本
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/07/18/3633510
ICT業界とアスペルガー障害
http://iiyu.asablo.jp/blog/2011/03/20/5750289
昼下がりの若いOLさんたちの原発会話
http://iiyu.asablo.jp/blog/2011/03/21/5752321
補足:昼下がりの若いOLさんたちの原発会話
http://iiyu.asablo.jp/blog/2011/03/19/5749034
マイクロソフト元社長の成毛が相変わらず軽いので、ツイッターで話題になっ
ていました。
---
ベさんが、Twitterで流していた。
http://twitter.com/#!/SnakeHole/statuses/50325977766707200
--- ここから ---
さすがにビートたけしはスルどいなぁ。”人の命は、2万分の1でも8万分の1で
もない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってこ
となんだよ” http://ow.ly/4k9QD
--- ここまで ---
http://naokitree.blog33.fc2.com/?mode=m&no=129
ビートたけし、「被災地に笑いを」なんて戯れ言だ【長文抜粋】
週刊ポスト「21世紀毒談特別編」より抜粋します。
2011/03/21 14:16
--- ここから ---
常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」
じゃないかって思う。
--- ここまで ---
こういう想像力を養ってくれるのが文学。別の人生を擬似的に体験できるし、
どう判断すればいいか、どう行動すればいいかも教えてくれるし、感情移入す
る力も養ってくれる。
カモリーマン向けの新書やビジネス書をいくら読んでもダメ。
ずっと言い続けていることだが、勝間和代的なデータ処理的読解力は、人間
の力にならない。少々身に付けても、もはやコンピュータにかなわない。人間
が勝てるのは、まだ勝てるのは、文学的読解力。
--- ここから ---
今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。
テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけ
ど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをま
ったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、
そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1
人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
--- ここまで ---
--- ここから ---
一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一
人死ぬことの方がずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分
の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってし
まうのが人間なんだよ。
そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、
それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も
耐えてるんだから。
--- ここまで ---
--- ここから ---
逆にいえば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかと
いう証拠だよ。海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、
国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしない
し、悲しまなかった。「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心から
その重さがわかるんだよ。
--- ここまで ---
--- ここから ---
それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。も
う、それしかない。
--- ここまで ---
「じたばたしたっちゃ、にわとりゃ、はだし」ですね。
関連:
http://iiyu.asablo.jp/blog/2007/07/16/1658941
高校生のための文章読本
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/07/18/3633510
ICT業界とアスペルガー障害
http://iiyu.asablo.jp/blog/2011/03/20/5750289
昼下がりの若いOLさんたちの原発会話
http://iiyu.asablo.jp/blog/2011/03/21/5752321
補足:昼下がりの若いOLさんたちの原発会話
http://iiyu.asablo.jp/blog/2011/03/19/5749034
マイクロソフト元社長の成毛が相変わらず軽いので、ツイッターで話題になっ
ていました。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。