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管理工学研究所の元社長、吉村鐵太郎さんが急逝されました。2011年03月07日 12時02分51秒

ASAHIネット(http://asahi-net.jp )のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
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 私が社会人になって最初に就職した管理工学研究所の元社長、吉村鐵太郎さ
んが、突然、お亡くなりになりました。
 2011/03/04金曜日のことだそうです。
 私が知ったのは、翌土曜日の夜。
 あまりのことに何が起きたか、理解できませんでした。
 吉村さんは、1967年に設立された管理工学研究所の社長を長くなさっていた
ことからわかるように、日本でソフトウェア専業でビジネスを行ない、飯を食
うことを始めた先駆者のお一人であり、業界の大先輩であるばかりでなく、管
理工学研究所の社長という枠を越えた存在であり、我が国ソフトウェア業界の
重鎮のお一人でした。
 大変に幅広い視野、知識と経験をお持ちで、なにより高い見識をお持ちでし
た。
 吉村さんがいらっしゃると、場が落ち着きます。
 皆、ビビっておとなしくなるのではなく、吉村さんの人徳によって、ひとつ
大きなバランスウェイトが置かれたように安定して、みな、リラックスできる
のです。

 九大の大学院を出て、就職するときに、私が他の大メーカーへの就職をやめ
て、管理工学研究所でソフトウェア一本でやってみようと決意にしたのは、吉
村さんとお会いし、この人の下で働けるならと思ったからです。
 吉村さんは、私にとって、東京での父のような存在であり、いまの私を形作
ってくださった大恩人の一人です。いまの私があるのは、吉村さんのおかげで
す。
 訃報を受けたときから、父を亡くしたときと同じように、呆然としています。

 私が管理工学研究所を離れてからも、折を見て、連絡をくださり、食事に誘
い出してくださるなど、気にかけていただいておりました。社長を引退なさっ
てからは、「もうぼくはフリーで、いつでも君と会えるようになったら、中村
君の都合さえつけば、いつでも声をかけてくれ。ブログも読んでいるよ。楽し
みにしているよ」とおっしゃってくださいました。
 すでに1年以上、お会いしておらず、昨年8月に、管理工学研究所の関根会
長が亡くなったときに、涼しくなったら会おうというメールを頂戴したのが最
後になりました。
 秋にお会いすることがかなわなかったので、暖かくなったら、そろそろと考
えていた矢先だけに、実に残念です。
 多趣味の吉村さんは、自転車も月に100キロ以上は走るほどお元気で、昨年
夏、ソフトウェア技術者協会(SEA)の面々と中国での会合に出られたときは、
張家界の山中の1000段の階段を上られたそうです。
 昨年、九大に行ったときに、岸田孝一さん(岸田さんもソフトウェア業界の
先駆者であり、重鎮のお一人)と九大の荒木啓二郎先生さんから、その話を聞
き、岸田さん、荒木先生ともども、吉村さんの健脚に驚嘆したことが思い出さ
れます。
 そのこともあり、吉村さんはますますお元気で、いつでも会えると思ってい
たのが、バカでした。やはり、会えそうなチャンスは逃さず、すぐに会いに行
かないと、人生何があるかわからないことを痛感しました。
 ちなみに、吉村さんからの最後のメールで吉村さんは、岸田さんが自分とほ
とんど同じ年なのに、いまだに世界中を飛び回っている、そのスタミナに驚い
ておられました。

 昨夜、鵠沼のご自宅に近い葬儀場でのお通夜に参列しました。
 遺影を拝見しても、やはり、現実感がない。
 管理工学研究所のOB・OGの方々、先輩・後輩など同僚だった方々と10年、20
年ぶりくらいでお会いし、あれこれとお話できたのは懐かしく、うれしかった。
http://iiyu.asablo.jp/blog/2011/03/04/5721337
天文台マダム、ご本人、ご降臨。ありがたや、ありがたや。\(^O^)/
で、元気にしているのかなと書いた玲子ちゃんとも会えました。明美ちゃんの
夫、ひろふみさんからは、吉村さんの訃報を伝えるメールを頂戴しました。
 まさか、こんな形で連絡が取れたり、会えるとは思っていませんでした。
 こういう形では悲しくはありますが、しかし、これも吉村さんが引き合わせ
てくださったものだと感謝するのみです。
 岸田さんともお話させていただきました。
 2月に頭脳警察の誕生祝いライブに吉村さんと一緒に行き、この月曜には、
新宿で頭脳警察のPANTAさんとも一緒に飲んだばかりだったとのこと。岸田さ
んも、呆然としておられました。

 お通夜のあった昨日は、暖かく穏やかな天気でした。
 葬儀のある今日は、一転、関東は、涙雨から、かなりの雪になりました。
 私の心象風景そのものです。

 ご冥福を、お祈りいたします。
 まだまだ吉村さんから薫陶を受けたかった。