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宮台・東対談『動物化するポストモダン』を読む2008年04月08日 06時04分23秒

2008/03/28と2008/03/30にtti/salonに書いたものから。
間にたまさんのコメントがあるけど、他の会議室の書き込みなので転載しない。

ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。

http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/03/26/2844234
ポストモダン的物語消費、初音ミクのムーブメント
のみならず、
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/04/05/2974934
サンダーバード、キャプレンスカーレット、ジョー90、謎の円盤UFO、マッハGO GO GO
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/04/05/2975002
東大発、バイオインフォマティクス&生命科学教科書4発\(^O^)/
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/04/06/2990620
佐藤勝彦、二間瀬敏史(編)「宇宙論(1) (シリーズ現代の天文学 第2巻)」
にも出した、「動物化するポストモダン」ならぬ「昆虫化するポストモダン」
「粉体化するポストモダン」に関係ある話。

===
標題: 宮台・東対談『動物化するポストモダン』を読む
---
宮台真司氏と東浩紀氏の対談、『動物化するポストモダン』を読む
というのがありますね。

http://www.miyadai.com/texts/animalize/
宮台・東対談
~『動物化するポストモダン』を読む~
をどうぞ。

中村(show)

===
標題: Re: 宮台・東対談『動物化するポストモダン』を読む
---
 「納得的」は、ほんとにそう言ってるんじゃないかな。
 だって、「便利的」だから。\(^O^)/

 それはそれで置いておいて。
>もっと切実に、現在の私たちには「まったり」しかないような気がする。
>消費社会と官僚システムと電子テクノロジーで武装された、記憶なき動物た
ちの世界……。
>いまの私たちは、動物化して、低め安定でまったりと生きていく方向を選ん
でいる。これは最低なのかもしれないけど、歴史的に他の選択肢がつぶされて
しまっているので、なかなかそうとも言えない。オタクが動物化しているのは
結構なんじゃないか、オウムみたいなことも起こしそうにないしな、というの
が僕の実感なんですよ。
>パターン認識の訓練だけで、「猫耳」でもいいし「シャネル」でもいいけど、
ある記号を見た瞬間に勝手にドーパミンが出るようになってしまった消費者が
いまや大量に存在している。
>動物化しデータベース化してしまった消費者は、記号的差異に身体的に反応
してしまうわけですよ。
などなど、印象的な話がいろいろありました。
 で、この週末に「動物化するポストモダン」を読みました。これを読んで対
談を読むと、二人が言ってることがなおよくわかります。

 「ダンシング・ヴァニティ」が若い読者が買いやすいようにしたのに、その
層にあまり売れてないという話がありましたが、初音ミクのようなわかりやす
い萌え要素がないからではないでしょうか。
 つまり、データベース消費という言葉でいえば、「ダンシング・ヴァニティ」
が参照しているデータベースと、若い層が参照しているデータベースが違うん
でしょう。
 筒井さんの場合、どう書いたって、神話に遡る長い、物語、文学、演劇の人
類的な蓄積を大なり小なりデータベースとして参照してしまう。でも、教養が
ない若い層は、もっと、単純なデータベースでないと理解不能なんじゃないか
な。
 ぼくのイメージでいうと、大海原を自由に泳いでいる生きている魚じゃだめ。
奔放で活動的過ぎて手に負えない。生命そのものの奔放なエネルギーを発散さ
せているから。まして、それを釣って自分で調理して食うなんてあり得ない。
食えるのは、鮨屋のカウンターにある、仕込みを経て、きれいに切り揃えて並
べてあるああいう魚。
 そこまで解体し、咀嚼し、わかりやすくして、かつ部品化したものを格納し
たデータベースじゃないと、受容できない。というか、センサーに引っかから
ない。猫耳がないとセンサーに引っかからないのと同じ。そんな気がします。
 だから、「時をかける少女」のリメイク映画が若い層にも大ヒットしたのは、
中性的な少女を配して、萌え要素も入れたライトな感覚の作りが、ウケたので
はないか。
 逆に映画「パプリカ」の場合は、「時をかける少女」より作りがヘビーだし、
主人公も少女じゃなくて大人の女性ですから、その辺が若い層に拒絶されたん
じゃないかなと、愚考しますね。^^;

 筒井さんも出席された文学界2008年4月号の大座談会を読みました。その感
想は別に書く時間があればと思いますが、「動物化するポストモダン」と密接
に関係するところだけ。
 ネットのビジネスは、コミュニケーション志向のものがウケているわけです
が、そのコミュニケーションと称する正体すらも実は、非常に空疎で当たり障
りのない記号的やり取りの水準が大半でしかない。
 こんなレベルだったら、我々が日々プログラムしているようなコンピュータ
の通信プロトコルのほうが、よっぽどましという気にもなってきます。そのほ
うがよほど効率的で正確ですから。^^;
 それと、実は何も読んでないに等しい、単なる脳への記録でしかない、特に
文学的にはまるで無意味な徒労であるフォトリーディングや速読の流行。
 諏訪哲史さんの発言がこの辺に対応していますね。
--- ここから ---
たとえば漱石の『草枕』で、那美さんが画工に言う有名なせりふ「(小説なん
て)筋を読まなけりゃ何を読むんです」というものがあります。漱石にとって
は、これらの思考の主は文学的文盲です。つまり、ズール(精読者)に対するレ
クトゥール(普通読者)であって、一蹴すべきなんです。現代はこの受動的読者
であるレクトゥールによる多数決に商業的メディアが追随して、また同じマス
メディアが多数派をさらに持ち上げることで、本の売れ行きから内容の評価ま
でが左右されてしまうんです。その結果、読者に悪いハビトゥス(読書教育)を
施して、より文学的文盲が増えるという悪循環にあるような気がします。
--- ここまで ---
--- ここから ---
キャッチコピー的な言葉が安易に用いられ、共通言語として普及することによ
って、非日常の文学的言語が理解されない世の中になっているような気がしま
す。それはハイデガーが言う「空談」と同じで、中身のない共通な言葉をただ
交わしているだけなんです。文学的に考えれば、その人たちは生きてないのと
一緒です。そこに自分の生、あるいは生き方を一瞬見いだすために、言葉の異
常さを持ち込み、世界を「異化」するべきだと考えています。でも文学的言語
を理解する人の数が、かなりのスピードで減りつつある。それを僕の言葉で言
うと、「読者が死んだ」という言い方になるわけです。
--- ここまで ---

 なるほどなあと思いますね。

 現代日本社会の個人の解体のされ方と、昆虫の走光性のように、単純な刺激
でわーっと一方に流される傾向をみると、「動物化するポストモダン」という
より、「昆虫化するポストモダン」というほうが、ぼくの感覚にはフィットし
ます。
 この場合の昆虫は、単体の昆虫ではなくて、あえて群体といいますが(学術
用語としては、こういう使い方はしないみたいです)、同じような個体がたく
さん集まると、大した知能もなく、刺激に対する低レベルの反応だけでも、実
は、けっこう、自律的にみえる、もっといえば知的にさえみえる行動を取る、
そういうイメージの昆虫です。
 ほかに例を挙げれば、いわしの大群が捕食者を察知して取る回避行動だとか、
鳥が編隊を組むルールだとか。こういうのは、非常に単純なルールだけでそれ
らしく動かせる、つまりあたかも知的であるかのように振舞うので、ゲームプ
ログラミングで使われている技法です。
 ロボット工学というか、かつてのサイバネティクスといったほうがいいのか、
その方面でも、それらしい動きをさせるには、AI(人工知能)のような大げさな
情報処理は不要で、センサーからの入力に単純に反応させるだけでそれらしく
なるんだという話がありました。
 この場合、知能は低下しているか、なくてもよくて、その代わりにセンサー
が発達してないとだめなんです。
 そう考えると、「空気読めない」をKYと略すKY式日本語が流行っているのも、
ミョーに納得できるんですね。
 高度な情報処理を行なうための知的水準が低下していれば、周りの空気を読
むセンサーが発達していないと、集団の中、群体の中では生きていけませんか
ら。

 なお、昆虫のイメージで気持ち悪いという感情を抱く人もいますが、ぼくは、
自分の生理的な感情はどうでもよくて、無個性で知能もないものでもたくさん
集まると、簡単なルールだけで、不思議な動きをするそのメカニズムに興味が
あります。
 この辺を研究しているのが、非線形科学や複雑系と呼ばれる学問分野です。

 ここまで書いて、思ったけれど、さらにいえば、ひょっとすると、昆虫レベ
ルでもない。\(^O^)/
 生命ですらなくて、実は、粉体や粉粒体と呼ばれるものに近いんじゃないか
という気さえしてきました。
 よって、「粉体化するポストモダン」\(^O^)/
 砂などは、集まると個体、液体、気体とは違う不思議な性質を示すことが知
られていて、これは大きな研究テーマです。

 ということで、現代日本の消費者行動を分析し、マーケティングによって消
費者の欲望を刺激してモノを売りつけたり、文学の動向を探るには、昆虫の群
体や粉体の研究をするのが近道じゃないか。\(^O^)/

http://ja.wikipedia.org/wiki/走性
http://ja.wikipedia.org/wiki/粉体工学

 うーん、ここまで書いて、さらに思いついたぞ。
 AI(人工知能)は、1960年代から研究されて、1980年代にピークを迎えます。
日本では第五世代コンピュータ計画が推進されました。学術的にはいろんな成
果があったし、いまでも影響のあることはあれこれありますが、結論としては、
結局、コンピュータによるAIは、人間の知能、知性を超えられないというもの
でした。
 でも、人間の知がこれほど劣化してくれば、AIでも超えられる!\(^O^)/
 ハードウェアの驚異的な進化やAI的な技法の洗練によるAIのレベル上昇より、
人間の知的レベルの低下が激しいので、AIでも人間を超えられるようになりつ
つあるのが、現代日本ではないか。\(^O^)/
 勝間和代の、自分をグーグル化して年収アップという知とは関係ない本が、
知的生産革命と詐称することで、徹底的に解体され、実験室の試験管や養鶏場
よろしく、コントロールされた環境で計算された刺激によって飼育され、反応
を制御され、ああいうものにすがれば自分が知的な存在になれると錯覚する人
たち、実は大変に追い詰められている人たちに大量に売れているのも、「動物
化するポストモダン」ならぬ「昆虫化するポストモダン」ならぬ「粉体化する
ポストモダン」で考えると、実に「納得的」です。\(^O^)/

中村(show)

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ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書 1883) (新書)
東 浩紀 (著)
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動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書) (新書)
東 浩紀 (著)
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ダンシング・ヴァニティ (単行本)
筒井 康隆 (著)