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経済学におけるゲーム理論の扱い2006年03月02日 23時06分18秒

ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。
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 まず最初に、
「府中の図書館から借りて昔読んだ鈴木光男先生の本を、また借りてきていま
す。それとその改訂版にあたるものを買ってきました」
と書いたのは、勘違いでした。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326550376/showshotcorne-22/ref=nosim
鈴木光男著「ゲーム理論の世界」(勁草書房)
と、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326500824/showshotcorne-22/ref=nosim
鈴木光男著「新ゲーム理論」(勁草書房)
を混同していました。\(^O^)/ すみません。
 しかもですね。昔読んだ「ゲーム理論の世界」を図書館からまた借りてきた
のに、買ってきたのも「ゲーム理論の世界」だった。大バカ。\(^O^)/
 でも、この本で正解は正解でした。
 僭越ながら、鈴木光男先生へのご祝儀にもなるし。^^;

 時間がないので、詳しくは述べませんが、序章とあとがきを読むだけでも、
日本の経済学においてゲーム理論がどういう扱いを受けてきたか、あれこれ想
像できます。鈴木先生の深い感慨が、簡潔で静謐な文章に込められていると思
いました。
 全部、読むと、ゲーム理論の歴史や、ゲーム理論を作ったフォン・ノイマン
やモルゲンシュテルンがどういう時代背景に生きていたか(簡単にいえば、ナ
チスのユダヤ人狩りの世界)など、いろいろとわかります。
 鈴木先生は戦後まもなく留学してモルゲンシュテルンに学んだ人ですから、
当時のアメリカの状況もよくわかります。当時の科学的な知は、ドイツとその
周辺にいたユダヤ人たちが築いた感があります。
 この本は、ゲーム理論の解説書としては異色で、理論解説よりも背景やら人
物像の記述が多くて、文系の人にも読みやすいんじゃないかな。

 あとがきは、ほんとしみじみとしています。特に、東北の田舎に育った自分
みたいな人間にはゲーム理論なんて向いてないと思っていたけれど、
「私には、土地を耕して種を蒔き、毎日水をやって少しずつ育てて、何年か後
にその結果がわかるような地味な仕事が向いていたのではないかと(略)」
「私は、長い間、日本という土地でゲーム理論という生き物に毎日水をやって
枯らさないようにしてきたに過ぎませんが、幸いそれが成長して、多くの人材
が多方面で活躍するようになりました」
は、人生を蓄積を感じさせる深い言葉。それに
「多くの批判に恵まれたからこそ、現在の私があり得たのだと感謝しておりま
す」
は、実際に批判を糧にして成果を出してきたからこそ、言える言葉。無理解な
批判が多かったことは想像に難くない。
 おれ、これ読んで、高校の世界史の時間に木村先生が、
「太平洋戦争で前線に行った部隊の中では、九州の部隊がすぐ玉砕したがって
どんどん戦死した。その点、東北の部隊は我慢強く粘って、玉砕せずに生きて
帰ってくることが多かった。だから、君らも戦争に行ったときは、東北人の我
慢強さを思い出せ」
などという話をしてくださったのを覚えています。
 九州人は血の気が多くて辛抱が足らないし、捕虜になるくらいなら自決せよ
というのが日本軍の教えだから、戦場のストレスに耐えられなくなると、すぐ
に「もういい。みんな勇ましく散ろうじゃないか。突撃!」といって玉砕した
がるんだそうです。その点、東北人は、厳しいの冬の中で、春の訪れをずっと
待つ生活をしてきているから、辛抱強いんじゃないかと。そういう話でした。

 まあ、おれはもう戦争に行きそうにないけど、いまの20歳以下の人は、行き
そうだな。
 ほんとかよ。
 ほんと、ほんと。北京オリンピックが終わったら、日本は、中国+北朝鮮+
韓国合同軍と戦争だから。\(^O^)/ 徴兵制は2008年だね。\(^O^)/
 戦争のときは、理系は内地で技術開発のことが多くて、戦場に送られるのは
文系の兵が殺された後だから、「理系白書」がいうように日本で虐げられてい
る理系としては、戦争があったほうが社会のバランスが取れるんじゃないか。
\(^O^)/
 とれん、とれん。それに、文系といっても社会上層部の連中は、あれこれ画
策して逃れるでしょ。
 じゃ、理系は、敵を呼び込んで、社会上層部の文系を皆殺しにしてもらって
掃除してもらうほうが、いいってこと? \(^O^)/
 お前、どういう推論機構なんだ。誰もそんなこと言ってねえよ。

 序章には、
「日本でゲーム理論が経済学者の間で用いられるようになったのは、80年代も
後半になってからでした」
とあって、昔、これを読んだとき、驚いたんです。アメリカは、1970年代半ば
過ぎには有効性が認められたそうですが、そのころでも、
「日本では、まだ、『ゲーム理論などは研究しても意味がない』と言うボス教
授もいたようです」
という具合で、日本は1980年代後半になってようやく、それもナッシュ均衡と
コアというごく限られた範囲しか使われてなかったそうです。
 なぜ驚いたかというと、講談社ブルーバックスに入っていたゲーム理論の一
般向け解説書をぼくが読んだのは、中学3年か高校1年くらい。だから、いま
から30数年前の1970年代初頭なんです。

 脱線しますが、読んだというのは実は嘘で、ある勘違いから買ってしまって、
挫折したんです(苦笑)。
 このブルーバックスを買う前に、NHKでコンピュータが出てくる番組があり
ました。その中で、三山崩しというゲームをやってみせてくれたんです。いま
と違って、ディスプレイモニタはなく、テレタイプ端末でした。テレタイプ端
末については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/テレタイプ端末
をどうぞ。写真がないのが残念ですが。
 ともかく、中学生のぼくにとっては、コンピュータは人間のゲームの相手を
することもできるんだ!というのが衝撃で、コンピュータってすごいなあと思
ったんです。
 それまでのコンピュータに対するイメージは、数値計算しかできないと思っ
ていた計算機だし、ニュース報道などテレビで使われるコンピュータの映像は、
あとでわかるんだけど、心臓部のプロセッサではなく、磁気テープ装置の中で
テープがキュンキュンと動いている映像だったんです(プロセッサは動きがな
いし、テレビ屋として動いている映像がほしかったんでしょう)。
 だから、コンピュータが入力を受け取って考えて結果を出力して、人間とゲ
ームができるというのが驚きでした。そのイメージがあって、ブルーバックス
のシリーズを読み始めたときに、ゲーム理論の本があったので、コンピュータ
ゲームの本かと思って買ったら、何か違うし難しい。もう少し読めばコンピュ
ータゲームの作り方になるかと思ってもならないので、途中で投げました(爆
笑)。

 その本、今回調べました。まだ売っていました! そして買いました。読む
時間さえあればたぶん、最後まで読めると思う。\(^O^)/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061178172/showshotcorne-22/ref=nosim
モートン・D・デービス著、桐谷維、森克美訳「ゲームの理論入門―チェスか
ら核戦略まで」(講談社ブルーバックス)
です。
 奥付みたら、初版初刷が1973年9月30日! ぼくが今回買ったのは、2003年3
月20日第52刷です。
 いま見ると、すごいんです。序を、モルゲンシュテルンその人が書いている
んです。それから、著者デービス氏による著者序は1969年12月になっています。
 おわかりでしょう? 一般向けの入門解説が日本でも今から30年以上前の
1973年に出ているんです。それでなんで、日本の経済学で認められるのが1980
年代後半なんだろう。おかしな世界だなあと思いました。
 素人向けの解説が出て15年も経ってからやっとプロが認めるのが経済学の世
界? ほかの学問の世界でこんなことってあります? 経済学者は、そんなに
境界領域の仕事に対して鈍感なんですか? おれは、もう経済学は、文学・政
治系経済学と数理系の経済学とはっきり分けたほうがいいんじゃないかとさえ、
思いましたけどね。
 それとも、講談社ブルーバックスの編集部、編集者が異常に時代を先取りし
ていたということですか? だとしたら、桐谷氏による訳者あとがきに、担当
編集者の名前がないのが残念至極ですね。この編集者は、すさまじい慧眼か、
強運の持ち主。
 鈴木先生は、外国で認められてようやく取り入れる体質については批判を書
いておられます。やんわりとですが。

 数々の批判を受けながらも、鈴木先生は、東工大、そして東工大退官後は東
京理科大でゲーム理論の世界水準の研究者を育てていくわけです。これが東大
経済学部や一橋大学なら、経済学もさすがと思うけれど、そうではないんです
ね、残念ながら。そこに日本の経済学のだめさがあると思う。
 鈴木先生のお弟子さんたちの中でも、中村健二郎氏は、「中村の定理」や
「中村ナンバー」に名を残すすばらしい人だったそうですが、1979年にわずか
32歳で亡くなっています。鈴木先生には、よほどショックだったんでしょう。
追悼の意味をこめて、本書では、中村健二郎氏の思い出や年譜なども出ていま
す。

 ほんと、似た名前のお前が代わりに死んだほうが、経済学の科学化、工学化
にはよっぽどよかったのに。お前、いつまで、だらだら生きているんだ。
 すみません。\(^O^)/ 小学校の6年生のときかな。三島由紀夫が市ヶ谷の
自衛隊で割腹自殺したとき、朝のホームルームの時間に、菅先生が、「偉い人、
頭のいい人は早く死んだり、自殺することが多いなあ」とおっしゃったのは、
まだ覚えていて、「おれも大人になったら、早く自殺しよう」などと思ってた
のになあ。
 つーことは、いまだに生きてるのは、バカだし、偉くもないということだな。
 はい。生きててすみません。\(^O^)/

 ゲーム理論家がノーベル経済学賞をとってしばらくした2000年前後からかな。
ゲーム理論の一般向け入門書がいろいろ出るようになったと思うんですが、そ
れまで、ほとんどデービスの本しかなかったように思うんですよ。この辺も盛
り上がりが、遅いなあと。
 最近、ある一般向け入門書で、前述のような木村光男先生の苦労に言及して
いる本に出会いました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4816337458/showshotcorne-22/ref=nosim
渡辺隆裕著「図解雑学 ゲーム理論」(ナツメ社、図解雑学シリーズ)
です。この最後のほうに「日本のゲーム理論の父」というコラムがあって、そ
こに前述のような話、鈴木先生が苦労して日本のゲーム理論の火を守り、俊英
を育てたことが出てきます。
 図解雑学シリーズは、宇宙や物理ネタのものはいろいろ買ったんですが、ゲ
ーム理論の本は初めてでした。この本は、わかりやすさ、内容の豊富さ、最新
研究トピックのカバー範囲、このバランスが、いま一番いい本だと思いました。

 金融工学(理財工学が明治以来の由緒正しい日本語だそうです)が、経済学の
中でどういう扱いを受けてきたか、日本ではどうだったかも含めて、よくわか
るのが、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121015274/showshotcorne-22/ref=nosim
今野浩著「金融工学の挑戦―テクノコマース化するビジネス」(中公新書)
です。
 暇ができたら、感想を書くかもしれませんが、予習してください(爆笑)。
 特に第2章を読むと、どういう扱いを受けてきたかが、よくわかります。
 ノーベル経済学賞受賞直前のマートンが滞在していたのは東大理学部数学科
であって経済学部ではないことに注意などという、恨みつらみの発露(笑)、イ
ヤミともいえる記述がいろいろあります。
 工学部と経済学部の学生に対する教授の態度の違いなど、ほぉ、そういうも
んなのかと思う記述もあります。
 なぜ、金融工学といわず理財工学というのか。その思いやら、でも、タイト
ルは一般向けだからなじみの言葉で金融工学になっちゃったしという悔しそう
な思いなど、いろいろ感じることがありますね。
 タイトルに「挑戦」とつけたその思いは、本書からよく伝わってきます。ど
うして経済学界ってこうなの?と思うくらい。
 数式もけっこう出てくるし、理系にも読みやすいんじゃないかな。
 いつものことながら、おれはすっかり内容忘れてましたけど。\(^O^)/
 それとこの前書いたことの訂正になると思いますが、さっきぺらぺらめくっ
て読み直したら、この本では、私立大学経済学部で数学を入試科目に入れてい
るのは、慶応だけと書いてありますね。ぼくが調べたときは、早稲田も入れて
いたと思ったんだけど、ぼくの勘違いでしょうかね。だったら、早稲田、だめ
じゃん。ラグビーだけか。\(^O^)/

 あと、英-Ranさんがメールで教えてくださった
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872337956/showshotcorne-22/ref=nosim
田中秀臣、野口旭、若田部昌澄編著「エコノミスト・ミシュラン」(太田出版)
は、教わってすぐ読んだんですが、読んだら、英-Ranさんのいうテレビや雑誌
に出たり、安易でトンデモなビジネス書を出している経済学者やエコノミスト
ばかりじゃないんだということがわかるという御説とは逆に、日本の経済学っ
て、どうしてこんなふうなんだろうな、やっぱだめじゃんと思いました。\(^
O^)/
 結局、この人たちが論争している世界は、文学の世界、数学といっても鶴亀
算の世界、群盲象を評すの世界に思えてなりません。
 それも暇があれば書くかもしれませんが。
 Jリーグ開幕だし、今年はワールドカップがあるし、ほかにもネタにしたい
ことはいろいろあるので、どうなることか。
 すみません。

 次、いつ、経済学ネタやるかわからないので、ついでに思い出したこと。
 スティグリッツ経済学の正誤表って、なかったんですよね。出版元の東洋経
済新報社のウェブサイトに行っても。
 間違いがあるのは仕方ないにしても、コンピュータ系は出版社か著者が正誤
表をウェブに出すのは、当たり前なのに、経済学の世界はそう習慣がないんで
すか?
 今回も、早稲田のサイトに行って、藪下史郎の項目をみてもないみたいだし、
東洋経済新報社のサイトを探してもないし、
http://www.toyokeizai.co.jp/pub/stiglitz_nobelprize/index.html
をみてもないし。教科書の間違いで正誤表出さないのは、訳者も出版社も読者
に対して誠意がないといわれても仕方ないでしょう。

 もっとついでにいうと、ノーベル経済学賞という言葉も変なんですよね。
 これ、昔、Ringの飲み会のときに、弾さんたちから教わって、というか、み
んな知ってて、おれだけ知らなかったんですが、日本では、ノーベル経済学賞
というけれど、ノーベル賞じゃないんですね。
 たとえばノーベル物理学賞は、英語だと
The Nobel Prize in Physics
だけど、ノーベル経済学賞は、
The Bank of Sweden Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred
Nobel
という名前なんですよね。長すぎるから、日本のマスコミはノーベル経済学賞
というんだろうけど、経済学ノーベル記念賞くらいにして区別しろという意見
もあり得ますよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞

http://cruel.org/econthought/schools/nobel.html
経済学におけるノーベル記念賞
あたりをみてください。
 この賞は、アメリカが、経済学の大御所、天才サミュエルソンにノーベル賞
がないのはおかしいといって、スウェーデン銀行を炊きつけたという説まであ
るそうです。
 それをいうなら、なぜ、ノーベル賞に科学の女王である数学がないんだとい
うと、これは、ノーベルの恋敵が数学者で、それで数学賞なんか絶対作らない
とヘソを曲げたという説もあるそうです。「もう、ノーベルって、せこい奴」
というか、人間臭い話ですね。
 Wikipediaみたら、数学者の名前まで載ってますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ノーベル賞

 こういうのがいろいろあって、ちょっと日本の経済学コミュニティはおかし
いだろうと思いが強くなったし、いまだにそれは変わりません。
 政治系?の経済学者(マクロ経済学者はそう?)が牛耳っている間は、だめな
んじゃないですか。でも、連中、政治力があるから、学問だめでも、抵抗勢力
として生き残るでしょうね。^^;